心にうるおいを。ネガティブもポジティブも受け入れる~、みつきのブログ。

「思考」に到達する前に
前提にある
「価値観」や「信念」
・・・つまり、
いつの間にか自分の言動に
つながっている
強い「思い込み」に気付き、
そこにアプローチしていくことで、
思考パターンにも
影響を与えることが出来ます。

「思い込み」は、
あなたが育つ過程で、
「上手く生きていくため」に
繰り返し経験を重ねながら
身に着けてきたものです。
「こうした方がいい」
「こうすると、よくない」
と「信じている」ことです。
あなたが
無事に生きていけるよう、
「あなたを守ってきたもの」
であり、
それゆえ、
とても深く根付いています。
小さいころから
自分を守ってくれた、
あなたの一部である
「大切な思い込み」。
これは、
潜在意識の中に
あるものなので、
意識することは
少ないのですが、
ほぼ自動的に
あなたの思考に
影響を与えています。
そして、
その「思い込み」が、
段々と、
「今のあなた」に
適さない部分が多くなり、
「今のあなた」の心を
苦しめるものにも
なってしまっている場合が
あるのです。
では、どうすればいいか。

あなたの心の奥底に
どんな「思い込み」があるのか、
それは人それぞれなので、
直接お話を伺わねば
分かりませんが、
あなたを苦しめている
状況に「パターン」があるなら、
そこに注目してみることが
できます。
例えば、
「なぜかいつも
自分を後回しにして、
他人を優先し、
耐えて我慢して
苦しんでいる」
ような場合。
恐らく、そういう方は、
我慢をすることで、
怒られずに済んだり、
褒められたり、
評価されたり、
ありがたがられたり、と
自分にとって
何かしらの「メリット」も
得てきたのではないか
と考えてみます。
そして、
そんな風に
メリットを得なくても、
今はもう大丈夫と
思えたら、
その思い込みを
大切に守ってきた
あなた自身に
「ありがとう」
「もう大丈夫だよ」
「私はもう、
我慢しなくても
いいんだよ」
と言ってあげてください。
この時
大切なことが
あります。
「もう我慢はしない」
というふうに
「正反対の断言」
をつかうのは、
なるべく避けた方がいい
のかなと思います。
なぜなら、あなたの
潜在意識の中には、
「我慢をすることで
あなたを守ってきた
あなたの一部」
が長い間存在して
くれていたわけで、
その思い込みは、
すぐには
無くなりません。
つまり、
「我慢しなければならない自分」
「我慢したい自分」
はまだいるのです。
だから、
一気に突然
「我慢はしない」
と言ってしまうと、
自分の中に葛藤が生まれて、
疲れてきてしまう場合が
あります。
まずは、
「ありがとう」
それから、
「もう我慢しなくても、
いいんだよ」
と、声をかけてあげてください。
それが、
あなた自身への配慮、
あなたの心の中を
大切にすることに
つながっていくのではないか
と思います

毎日毎日、
色々なことを選択しながら
生活している私たち。
自分の苦しさの原因(?)
となっている
「思考のクセ」を変えたくて、
色々とワークに取り組んでみたけども、
どうも自分の中で
「違和感」を唱える
声がする・・・・。
そんなときは、
アプローチを変えると
いいのかも!

何か出来事が起こった時、
人がどのように行動まで至るか、
簡単に説明すると、
以下のような流れを
辿ると言われています。
(諸説あります)
まず、
何かが起こった時、
自分が知覚した膨大な情報を
ふるいにかけて
↓
自分が注目する情報だけを選びます。
↓
そして、
↓
自分の価値観、信念に基づいて、
「それがどんなもの(状況なのか)」を
理解してから、
↓
目標を考えて、
↓
行動選択に至る・・・というわけです。
要するに、
「自分にとって、
その出来事がどんなものなのか」
という「思考」に至る前に、
「価値観」や「信念」
が存在しているのです。
ということは、
「思考」にだけアプローチしていても、
前提にある「価値観」や「信念」を
見ていかないと、
思考パターンを変えることが
難しい場合もあります。
もちろん、
思考パターンに対する働きかけだけで、
状況を変えていかれる場合もありますが、
そこに難しさを感じる時には、
あなたの意識の中に
根を張っている、
「価値観」や「信念」に
気付いて、
目をむけてあげることが
あなた自身を
大切に扱うことになり、

その結果、
思考パターンにも
影響を与えられるように
なっていかれるのです。
つづく。
自分を楽にするためのワーク。
色々ありますよね。
そして、取り組んでみて、
確かに効果はあった
と思うけど、
どうしてもやっぱり
違和感が顔を出す・・・・、
そんな方もいらっしゃると思います。

例えば、
自分の思考パターンを知って、
そのクセを変えていくことで、
自分の苦しさを解決していこう
とするアプローチの場合。
自分の「クセ」
(自分というフィルター)
を通して見ている出来事が、
本当に現実世界で
起こっている出来事なのか
客観的に現実検討をする
練習をすることで、
「あれ?心配していたほどでも
なかったかも」
と思えることが増えていき、
解決することもあります。
・・・・でも、
「どうしても自分は
そうは思えていない」
と感じてしまったり、
元のクセが戻ってしまって、
「ああ、まただ、
また駄目だ」
と、余計に
悲しくなってしまうこと、
ありませんか?
…私は、
結構ありました~。
この方法で
解決していける人は
多いと思うし、
実際にこの方法を
意識していくことは
大切だと思いますが、
これが上手くいかない
ときは、
おそらく、
その「クセ」が
できている理由
にも、目を向けてあげて、
そこを味わってあげることが
大事なんです。
つづく。
自分を苦しめている信念を
書き換えたくて、
世の中に沢山ある
「潜在意識を書き換える」
ためのワーク等を
やってみたけど、
なんかスッキリしない。
そして、
「やってみたけど
やっぱり苦しい」
「どうもモヤモヤする」
↓
「やっぱり、〇〇できない」
「私は〇〇なんだ」
ってな具合に、
むしろ、
自分を苦しめている
信念を強化してしまう。
・・・そんなサイクルに
陥ってしまっている方、
本当は結構いらっしゃる
のではないかな、と思います。
私はそうでした。

これ、
あなたの取り組んだ
「潜在意識を書き換える」
ワーク自体が
悪いのではなくて、
もちろん、
あなたが悪いわけでも
なくて、
恐らく、
「それを行うと、自分の中に
どんな反応が現れるのか」
についての
インフォメーションが不足
していたり、
そのワークの内容が、
その時の
自分の状態(ステージ)に
うまく合っていない
のが理由なのではないか
と思います。
これらの「理由」を踏まえて
ワークを選んで取り組めば、
ゆっくりと、
自分の未来を自分で選んで
行かれるようになる
と思います。
その理由について
お伝えしていきますが、
その前に一つ。
あなたが出会った
ワークたちは、
どれも「間違い」ではない
ということです。
(もちろん、明らかに
悪徳なものは除きますが・・・(^^;。)
人間は、
「これさえあれば大丈夫」
的な、
一つの答え
があると安心します。
だから、
あなたが選んで
実践したワークで
上手くいかなかったと
感じると
不安になるかも
しれないけれど、
がっかりする必要は
これっぽっちも
ありません


あなたには、自分の未来を
自分で選択していく力があって、
その選択肢の組み合わせは無数。
そもそも、
「解決策がたった一つしかない」
ということはないんです。
様々な視点からのアプローチを
あなたが知っておくことは、
とても素敵
なこと。
しかも、あなたが
「ワークをしよう」
と取り組み始めた時点で、
それはその「ワーク」との
出会いを通じ、
すでに
あなたが必要なメッセージを
受け取り始めている
ということです。
例え「今」は
そのワークがあなたに
しっくりこなかったとしても、
その体験自体が、
これからのあなたを助けてくれる
大切なあなた の時間に
なるのです
。
つづく。
夫が会社で問題を起こし、
離職することになった頃、
別居、完了
。
別居を決意しておきながら、
「家族」という単位を
守ることができなかったと
自分を責めながら、
夫を恨んでいた自分でしたが、
少しずつ、
家にいる時間をリラックスして
過ごせるようになりました。
ようやく冷静に
自分を労わる作業に
入っていきました
。

うふふ

さて、
そして、
いよいよ、
楽になりたいから、
自分を変えようと思って、
改めて勉強を始めました。
セミナーに参加したり、
本を読んだり、
昔の資料を引っ張り出して
見直したり・・・・。
でも、
「思い込みを書き換える」
いくつかのワークに取り組んだり、
アファメーションを試したり、
一時的にすっと楽になれても、
またしばらくすると
心身が固くなって
元の状態に
戻りそうになってしまう
(戻ってしまう)
自分がいました。
「また駄目になっちゃう」
という焦りや予期不安、
そして、
「失敗」すると、
「やっぱり、まただ」
というふうに
「思い込み」を強化してしまう・・・。
どうしたらいいかなと
悩みました。

そして、
自分なりに
ちょっと気づいたことがあったのです。
つづく。
夫と対等ではいられなかった
その理由となっていた「強烈な思い込み」。
「自己犠牲美徳
」輝く
「ザ・戦国時代?の世間常識」
。

例えば、
・妻や母親は、自分のことは
常に後回しにして、
夫と子供(家庭)ために在ることが
素晴らしい姿である。
とか、
・夫(男性)に尽くし支えて、
「賢い女性」と思われるようで
なければならない。
とか。
うわ~っ!

・・・・・・・・・

。
ぞぞぞぞ。
あ~,
はいはい、あれね、
よく聞くやつですよ、
あれですね・・・・。
ベタな価値観の
オンパレードですけどもね・・・
私は、
そういうものが
自分の中にあることも、
「自分を大切にしてもいい」
ということも、
そういう価値観で
多くの女性が苦しんでいることも
知っていましたし、
そんな話も沢山聞いてきました。
そして、
自分の中の
こうした価値観は
自分の考え方を変えることで
少しずつ乗りこなせていると
思っていました。
つまり、
本当に向き合わざるを得ない
状況になるまで、
こうした思い込みたちが
自分を固く縛り付けているとは気づかず、
向き合う機会も作らずにきたのです。
そして、
心身ともに悲鳴をあげて
ガクガクになってから、
本当に向き合い、
葛藤を繰り返すことになりました。

・・・・まあ、それ自体は、
今となっては
「必要なタイミング」だったと
思っていますけど~、
あんなしんどい思いをしなくても、
もっと手前で向き合うことが
できてもよかったなと思っています。
「自分は大丈夫」と思っていても、
なんだか苦しい、
なんとなくいつも追われていて
辛い時。
現実で、メディアで、そういう場面を
よく目にしたり聞いたりする、
そういう方の中には、
もしかすると以前の私のように、
自分が思っているよりも深く
自分を縛り付けてしまっている方が
いらっしゃると思います。
私はそうでした。
でも、今は、
自分の「回復・取り戻し」の位置を知り、
やり方をみつけて、
ゆるっと
してきました~。
つづく。
付き合っていることから数えて、
20年以上、
現在では別居中ですが、
ずっと、
夫と対等ではなかった、
という事実。
これは、
あくまでも自分の心の中の
お話ですが、
私の中には、
複雑にからみあった
「思い込み」が
あったんです。
その思い込みは、
どれも、
「ザ・戦前戦後?の世間常識」
(いや、戦国時代の
世間常識といってもいいか?)
みたいなもんで、
今の時代にはあまり適さない
と思われるような、
「自己犠牲美徳」が輝く
ものばかり。

・・・・・
。
例えば、
・妻になり、母親になる幸せのために、
自分の自由や自分の意志が
後回しになるのは当然である。
・妻や母親は、家庭を第一優先にして
我慢しなければならない。
・夫(男性)に尽くし支えて、
「賢い女性」と思われるようで
なければならない。
・陰で何かに耐えながら
笑顔で周囲を支えることにより
存在価値を認められ、評価される
・・・・・いやあだなあああ
。
こうした考え方自体が
悪いとは思わないし、
実際に
こうやって頑張ってきてくれた
人たちのおかげで、
今の自分がいると思っています。
なので、尊いとは思うけど、
・・・・今の私にとっては、
うんざりしちゃうものばっかり~。
そうなのです。
私は特にフェミニストではないけど、
こうした考え方が
女性を追い込んできていることや、
もっと多様性を大切にした生き方が
あることは知っているし、
特に若いころには、
自分の行動は「もっと自由」だと
信じていたし、
そんな「思い込み」が
自分に必要ないものであることは、
よく分かっているつもりでした。
でも、でも、
あったんですね~。
自分の中奥底に、
ずーっと深く根付いていて、
知らず知らずに、
強化していっていたんです。

夫と
別居しています。
あんなに大好きだと
思っていた相手を、
本当に本当に嫌だと
「思って」いました。
そんな日は来ないと思っていたし、
自分は大丈夫だと思っていたけど、
でも、夫へのストレスが膨らんで、
イライラをコントロールするので
手一杯になってしまう。
なんとかしなければと思っては
自分を責めて、
夫の言動にまた疲れてしまって、
苦しいし、
悲しい日々でした。

・・・でも、
実は、私の場合、
心のどこかで、
夫と付き合いだしたころから、
ずっと、
「いつ別れることになっても
平気なように、
精神的に落ち込みすぎないように、
あまり深入りしないように」
なんて思っている自分もいました。
結婚する時も、そう。
もちろん、
結婚する前も、
結婚した時も、
そのあと何年も、
すごく幸せだと思っていました。
夫を愛していると思っていたし、
愛されているなとも感じていました。
でも、
子どもが出来たときは、
ちょっとだけ、
「ああ、別れにくくなっちゃったな」
と思った自分がいたのも
覚えています。
・・・・ねじくれてますね~。
要は、
私はずっと、
「夫からいつか別れを切り出される」
ことが頭の中にあったわけです。
「前提」だったかもしれません。
そして、それが怖かったんですよね。

子どもが出来たことは
本当に嬉しかった。
子どもを産みたいという気持ちは
ずっとあったし、
子どもに会いたかったから。
でも、
「大好きな夫に
いつか振られる日がきても、
自分は傷つきすぎないように、
大丈夫なように・・・」
と、なぜか、
「その日に備えている」
自分がいたんですよねえ。
それも、20年近く!

うおーっっ
・・・なんというか、
心の奥の方では、
私の結婚生活は、
ずっと、
夫と対等になれて
いなかったんです。
夫に愛されていることを
信じられなかったんですね~。
ほんとに、
ひねくれてます。
不健康です。
でも、これも
向き合わねばならない
自分のこと。
良し悪しではなく、
これは私が抱えている問題でした。
さて。
前回のブログで書きましたが、
私が夫のことを「嫌だ」と
強く「思う」ようになり、
夫が何か「駄目なこと」をしでかして
それを理由に自分を完全に正当化し、
そのうえで離婚する場面を
繰り返しイメージしていたところ、
なんと本当に
実現しちゃったんですよね。
正確には、今のところ
「離婚」はしていませんが、
夫が「駄目な言動」を
しでかしはじめたんです。

私はというと、
あんなに
「夫がしでかす」ことを
イメージし続けていたのに、
いざ、
家族を裏切るような
幼稚な言動を繰り返されたら、
やはりすごく苦しく、辛くて、
ハンマーで頭を殴られたみたいでした。
そしてそれは、
「予想通り」
でもあったんですよね。
勝手な話ですが、
夫が「ひどいこと」をしてくれたら
離婚できるのに・・・、
と、自分の決断を
夫に委ねてしまっていた
そんな私でしたが、
同時に、一方では、
もし夫に「裏切られた」と
強烈に感じるようなことを
実際にされたならば、
自分はかなり苦しむだろうな、
とも、知っていたんです。

このころから、
だんだん私は、
自分とどうにかして
向き合わねばと思うようになりました。
自分が自己価値や
自分の幸せを
他者に委ねていることも、
自分が「評価」を得るために
(自分の存在価値を感じるために)
ちょっとハードな現実を
自ら用意してしまっていることも、
夫と、ある種の
「心理ゲーム」に陥っていることも、
気付いてはいました。

でも、
そこに取り組む必要性を
あまり感じていなかったし、
自分がメンタルの業界で
仕事をした経験もありながら、
なぜか、自分のことについては
取り組んでも
解決できるとも思っていなかったし、
そもそも、
「自分は、そういうものだ」と
漠然と思い込んできたわけですが、
とうとう、
向き合わないと
自分が壊れそうになるほどのところまで
来てしまいました。
ここでやっと、
私の自己受容的な検討が
始まりました。
夫のトラブルが明らかになって、
私たち夫婦が、ぶつかり始める前、
何年間も、
私は夫のことを
「嫌だ」と「思って」いました。

同じ部屋にいるのも辛かったし、
イライラを押し殺すのに
必死でした〜😅。
そして、
ずっと離婚を考えていました。
さらに、離婚を考えながら、
その離婚の原因を
何かしらの、
「夫が悪い」という状況が
起こったらいいのに、と
思っていました。
つまり、
「夫が悪い」という
明確な理由があれば、
私は堂々と(?)離婚できる、
と、思っていました。
自分の希望だけで
自分のなかに在る理由だけで
「離婚」するのは我儘で
勝手で、よくない行為だと思い、
「離婚」をしたら、苦しい生活が
待っているにちがいない、
子どもたちを苦しめるに違いない、
だから、離婚なんてできない、
と決めつけていたんです。
…あの頃は、
どこかでそんな風に、
「思い込んで」いたんですね~。
一方、ここで、
自分以外の人で、
シングルマザーを選んでいる人のことは
「かっこいい」
「自立している」
「強い人」
など、
むしろ「すごいなあ」と、
かっこいい存在
と感じていました。
その方々の事情も知らずに
一方的にこんなことを言うのは
失礼だと思いますが、
でも、それが正直な気持ちでした。
要するに、私の頭の中には、
「離婚」について
私にとっては
「離婚は自分の我儘勝手な行為」
というものと、
「離婚できることは
自立できるということ」という、
ネガティブとポジティブな
相反する2つの思い込みが
あったということです。
本当に嫌ならば、
「正当な言い訳」
なんてわざわざ作らなくても、
正面からぶつかればいいのに、
そんな考え方を
自分に当てはめることが
できなかったんですよね〜😅。
・・・そもそも、
なにが「正当な理由」かなんて、
分かりませんしねぇ~
・・・・そして、
夫が「駄目な行動」をして、
それを理由に離婚する場面を
繰り返しイメージしていました。
繰り返しそんな場面を
イメージしていた理由は2つ。
1つ目は、ただ夫に対する
イライラが溜まっていくから、
妄想によりイライラを
発散していたため。
そして2つ目は、
本当にそんなことが起こったら
どうしよう、
という予期不安もあって、
そうなった時のために、
どうすればいいかを事前に
シミュレーションしておく、
つまり、事前に訓練しておく
という理由がありました。
・・・・ここでも、相反する
二つの気持ちがぶつかって、
こういう不健康な思考を
繰り返してしまっていたんですね。

で。
そして。
なんと、
なんとなんと、
そんなイメージを
繰り返していたら、
本当に
そうなっちゃった!
わけです。

