無人島で生きてきた私。 | 多重人格者が出来るまで

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解離性同一性障害の記録を残すブログです。


今回のカウンセリングからはMさん抜きでH先生と2人きり。

特に緊張することはなかったけれど、
途中からカウンセリングの様子を音声に録っていたので確認すると・・・

「え。これ・・・誰ですか?」

と言いたくなる程の私がそこに居た。



今回のカウンセリングでのキーポイントは以下の通り。


・私はずっと無人島で生きてきた

・4歳で既に人間に対して諦めていた




親にも友人にも恋人や夫でさえ心を開けない私。

心のどこかで人に対して“諦め”がついて回る。


何故そうなってしまったのかは私にも解らない。

誰にも理解してもらえず、気付けば相手の望む私になりきる私。

それを無意識にやってしまうのはペルソナでもあるけれど、
それはとても悲しい現実でもあった。


“父が笑ってくれるように”

“友人が笑ってくれるように”

“あの人が笑ってくれるように”

“彼が笑ってくれるように”


人に誇れるような人生を歩んできていない私でも、

【社交的で親しみやすくて、いつも笑顔でいる人】

そんな私で居たくて。



家に帰れば悲しいことが沢山あっても、
“せめて外でだけは幸せでありたい”という夢を見ていた。

【悩みなど何一つない幸せな私】

そんなもの偶像でしかない事くらい解っていても、
きっとそうすることでしか私の心は救われなかったのだ。

だからこそ生まれる“虚しさ” も “寂しさ” も、
感覚が麻痺してその感情が気持ち良くなる程に壊れているのだ。



東京出身の私がいくら自然が好きと言っても、
地方の人間から見ればそれはただの“社交辞令”

私はね?
本当に自然が好きなんだよ?

自然は人のように裏切ったりしない。
自然は人のように離れていかない。

私なんかが生まれるずっとずっと前から当たり前に其処にあったもの。

私がどんなに悲しくても、寂しくても、辛くても私を優しく包んでくれたのは自然だけだから。
私を優しく見守ってくれていたから。

だから好きなの。落ち着くの。
だから自然の中にいると満ち足りた気持ちになって頑張ろうって思えるんだよ。

なのになんで、そんな私の気持ちを否定するの?

どんなに訴えても、相手は勝手に馬鹿にされたと思い込むのかな。


いつも、そう。

私が本音を伝えても訴えても解ってくれない。
それどころか笑われる。

あれ、何で私泣いてるんだろう・・・?

おかしいな、涙が止まらないよ。


こんなに泣くほど悲しかったのかな・・・。




だからね?
私は心に蓋をしたの。
自分にすら解らないように、誰にも気付かれないように蓋をした。

誰かが悪かったのではなくて、
諦めてしまった私が悪いんだと自覚はしてる。

そうすることでしか己を守れなかった弱い自分。

笑ってしまうね。
笑うしか、ないよね。


物心ついた時には暴力の中で。
それを止める無力な私は少しでも家族が笑っていられるようにピエロになるしかなかった。

幼い頃に父からもらったピエロのオルゴール。
ある時お兄ちゃんに壊されてしまって首が擡げた。
歪に首を回す壊れたあのピエロは私のようで。
表情のないピエロが悲しそうに奏でる曲はとても寂しくて。

だから4歳でも解ったんだよ。

“悲しい曲だね。”って。



そして何より今日は希望がひとつ。


H先生が何度も言ったの。

「これはDIDというより引きこもりの特徴だよ。」って。


ねぇ、私がDIDじゃなければ制限なくなるよね?

子供育てる事だって仕事だって制限無くなるんだよね?


でも。
なら、なんで記憶戻らないのかな・・・。

希望と絶望は紙一重。




さて次のカウンセリングは5月中旬。


私もカウンセラーになりたいなぁ・・・。