私は未だ自分がDIDじゃないと思う気持ちがある。そしてそれを毎回先生に伝える。
…でもそれが覆る事はない。
DIDだと八割以上は受け入れてはいる。
…けれど、心の底では記憶障害がある“だけ”なのだと信じたい気持ちがあるのだ。私は“普通”なのだと信じたい…。
きっとその祈りにも似た思いはずっとあり続けるのだと思う。
それは私にとっての“希望”でもあるから。…だから失う訳にはいかないとさえ思っている。
たとえ周りから見れば滑稽だとしても。
カウンセリングの話しだが、カウンセリングは相変わらずで新しい記憶が戻る事もなく、ただただカウンセリングを受けている状態だ。
でもカウンセリングを続けていく中で毎回少しずつ明らかになる事がある。
先週のカウンセリングで明らかになったのは、【母親が私に嫉妬していた事】、そして【母親に遊んでもらった記憶がない】こと。
小さい頃ーー…まだ両親が離婚する前、私が父に何か買って貰うと決まって母親に捨てられていた。洋服も沢山捨てられたし、お気に入りの赤いベレー帽も捨てられた。
お気に入りだったからこそ父は二度程買い直してくれた気がするが、それでも捨てられ続けた。
私はその母親の行動を責めることはしなかった。幼心に母親がそうしたいのならば仕方ないと諦めていたから。
けれど先生に「それは嫉妬だよ」と言われて疑問に思い色々思い返してみると母親は兄達にはそんな事していなかったのだ。そう捨てるのは決まって私の物だけ。
それに気付いて私は初めて嫉妬されていたのかも知れないと自覚したのだ。父親に対してでさえ嫉妬心を剥き出しにする母親だ。当然、義理の父親が私に甘ければ私への嫉妬心もより強いはず。
そして私は母親と犬猿の仲だった義理の父親の娘にも可愛がられていた。…そりゃあ、私は邪魔だよな。と何だか今更ながら納得してしまう。
ちなみにカウンセリング中からずっと母親に遊んでもらった記憶を探ってみたが全く思い出せない。
父親や、兄達に遊んでもらった記憶は沢山あるのに、母親だけはないのだ。
ん…?何かおかしい。
そんな筈はない。
確かに常識はずれの人ではあるけれど私はそれなりに愛されていたはずなのだ。…そう思っているからこそ不思議で仕方ない。
やはり…私は愛されていなかった、のか…?
いや、全ての原因が母親にあることも母親に精神的虐待を受けていたことも解っている。
それでも私は異常な愛され方だとしても“母親に愛されていた”と信じてきた。だからこそ、その今まで無意識的に信じてきた事が覆る事実を受け止められていないだけなのかも知れない。
…あぁ、そうか私は本当に愚かだ。
現実を受け止められずに生きてきたということが明確になり、こうも落ち込むなんて…。
それだけ私はあの母親を求めていたということだろう。
お互いに一方通行の想いは決して交わることはなく、すれ違ったままだったけれど。
滑稽な私。滑稽な母娘。
そして今回のカウンセリングは先生たちがNYに長期出張中のためSkypeで行った。先生はWEBカメラ、私は画像を先生に見せるように設定していて。途中で画像を変えたら先生がその画像を絶賛し「感性が豊かなのね。」と言ってきた。
そう言えば自分の感受性は豊かすぎるところがあり、涙脆すぎるのをどうにかして治したいと日頃から思っていた私は良い機会だと思い先生に尋ねてみた。そうしたら、
「君はそうしないと生きてこれなかったからだよ。」という。
どういう意味か判らず聞き直すと、
「虐待とかを受けてきた子は皆同じように五感が鋭く感性が豊か。それはそうすることでしか自分の身を守れなかったからなんだよ。」と。
はー…。なるほど…。
だから私は家の中に居ても人が来る気配や近所のガス漏れの匂い、口に出すと周りの人に怒られるような音が聞こえたりするのか。納得。解決にはならなかったけど、まぁいいや。
来月は先生ひとりだけしか居ないからカウンセリングはお休み。
次は七月。
取り敢えずよく判らない気分の落ち込みになす術なく、時間が解決するだろうと旦那様に甘えようと思う。ごめんね。