こんにちわ ゆうじです。

 

ヒューマンデザインの話です。誤解のないように(笑)

市川さんのアドバンスリーディング&解説を受ける機会がありまして、自分のリーディングの中にこれは面白いなというのがありました。

なので、タイトルの話も人によります。

自分と同じ分類の人もいるとは思いますし、あくまで自分の場合はという類のものです。

それは、自分の怖れの感覚を動機に使うというものです。

 

正確には、未知の知識があるという「恐怖」を動機にして知識を得る選択をするのが自然で、

「必要」だったり「要求」から知識を学んだり、得たりしてもそれは、ただ、学ぶだけで私にとっては正しい動機ではない。ということでした。

例えば、そろそろ怒られそうだからこれをやるとか、ちょっと怖いから止めとこうとかいうのもありだと説明にはありましたね。

これは、なんかやってる(笑)

 

生存に関わる脾臓が真っ白だから、それに関連してるのかもしれません。ゲートも何もないタイプだしね。

人の恐怖を見てすごく不快に感じる理由は、たぶんそれなのだろうと、最近思う。

直観を持つ人がいると安心感を持つのと裏腹にね。

 

大前提として、自分の中の怖れを否定しないということが必要になります。

怖れを利用するしないに関わらず、自分の中の怖れを否定しないで認めないことには始まりません。

認めた上で、対処する。もしかすると、その恐れは誰かの恐れの借り物かもしれない。

 

実は、脾臓が白い人は、適切なときに恐怖に立ち向かうのは良くて、恐怖に基づく決断がNGというのもあります。

動機と決断は、似て非なるもので、この違いは大事ですね。

 

ではでは、このへんで