こんにちわ ゆうじです。

 

途中まで書いた記事が消えた。思い出しながら...

 

素敵な原始仏教のホームページ”にある瞑想法

の最後で、下のようなことを書いています。

ただ、仏教においては愛というものは執着の要因として捉えられる面もあり、無条件の愛とは別物と考えます。

 

これには、語弊があって、という文字の定義が違うと云っても良いです。

で、無条件の愛と似たものがないかと調べました。

 

慈悲のが、相当するようです。ただし、慈悲ではない。ややこしい。

と云うと、慈しみですが、こちらのサイトでは友愛とも解釈されています。

 

を、ググると、その意味は

いたわり育てる。父母が子を愛する心。なさけぶかい。いつくしむ。いつくしみ。

仏教用語としての意味は

慈とは、仏教の概念で人々に深い友愛の心、慈しみの心を持つこと。また、それらに安楽を与えたいという心を持つこと。「抜苦与楽」の「与楽」に相当する。慈愛とも訳される。 四無量心としてまとめられる4つ徳目「慈・悲・喜・捨」の最初の1つ。

 

一般的な意味としては、下記のようになるかと思います。

慈 => 

悲  =>  慈

 

ちなみにを、英語にするとLoveとなります。


「慈悲喜捨」(じひきしゃ)四無量心の瞑想、ブッダの教え

 

・慈(じ)慈しみのこころです。
生きるものに安楽・喜びを与える気持ち。
安楽を与えるので、与楽(よらく)とも言われることがあります。

・悲(ひ)哀れみのこころです。
生きるものに苦しみを除く、憐れみの心をもつ気持ち。
苦しみを抜くので、抜苦(ばっく)とも言われることがあります。

・喜(き)他者のことを喜ぶ気持ちです。
他人の安楽を嫉妬せずに喜ぶ、喜びの心をもつ気持ち。

・捨(しゃ)偏ったこころがなく中庸(ちゅうよう)な気持ちです。
他人に対して愛憎怨親(あいぞうおんしん)の偏った気持ちがなく平等な気持ち。

 

四無量心の瞑想は、ブルースモーエンメソッドの愛の感覚の瞑想を想起させるものです。

4種類、ありますけどね。

上下横すべての方位を、すべての所を
一切の世界を広大な、大いなる、はかりしれない、怨みなく、悪意のない友愛の心で満たすのです。
友愛(慈)の心を修すると、
哀れみ(悲)の心で満たす、
喜びの(喜)心で満たす、
平静(捨)な心で満たす、
心が解脱し、輪廻の原因はそこに残っていないのです。梵天との共存の道ですよ。

 

ブッダはさらにいいます。

このように梵天と修行者は性質が同じなので親しくなるのです。身体が滅びて死んだ後、梵天を共生する根拠なのです。

 

この梵天を、ハイヤーセルフ(ガイド)と解釈して良いのではないかと最近思っています。

 

あと、慈悲の瞑想と云うのもありますが、ブルースモーエンメソッドのやり方の方が、いろいろ良いように思ってしまった。

これは、どちらかと云うと慈悲の祈りだなと思った次第です。

慈悲の瞑想 フルバージョン(日本テーラワーダ仏教協会)

これだけだと信念の抵抗が大きいように思う。

 

ではでは、このへんで