こんにちわ ゆうじです。

 

鬼滅の刃の総集編やってますね。

見始めるとついつい見入ってしまいます。

そして、いよいよ土曜は、「無限列車編」ですね。

 

ネタバレですが、見てない読んでいないという人もいないと思うので、ちょっとした気づきを。

 

先週日曜の「那田蜘蛛山編」見どころ満載でしたが、最後、累が義勇に首を切られ両親を思い出すシーン。

 

累の家族の絆へのこだわりの大元が明かされる場面です。

 

マンガでも読んではいるし、いまさらなのですが、累が親を殺してしまう理由を丁寧に描いていることに気づいた。

とはいえ、漫画では、三コマ分なのですが(笑)

 

病弱で死にそうな累は、無惨によって、人を食う鬼となり、累の親は、累を殺して自分も死のうと考え、実行するが、

その時、累の中では過去に聞いた親の話が想起されている。

 

「昔、素晴らしい話を聞いた」

「川で溺れた子を助けるために死んだ親がいたそうな」

「俺は感動した。なんという親の愛。絆」

「川で死んだ親は、見事に"親の役目"を果たしたのだ」

 

「それなのに何故、俺の親は俺を殺そうとするのか?」

 

そして、偽物ではなく、本物の絆を求めてしまう。

 

こういう丁寧に話を積み上げてる所が、素晴らしいですよね。

単純に親に殺そうとされ、逆上ではないのです。

 

構図としては、聞いた話を元に、理想の親を作り上げた子供が、それを理由に親を断じる。ジャッジする。

聞いただけの感動話を、受け入れて勝手な基準を作ることで、フィルタ―を作ってしまった。

構図だけ考えれば、良くある話でもある。

 

自分もそうだけど、子供の頃は、年を取ればしっかりするものだと云う思い込みが根っこにありませんでした?

 

この年になれば、お互い様、仕方ないというの気持ちにもなれます。

 

年を取ればしっかりするとか理想というか幻想だよなと思う。

 

あと、ホンモノとか本当の自分とかを求め探しを始めると、大概おかしなことになるような...

「これはホンモノ」とか「私はホンモノ」とかね。

 

ではでは、このへんで