こんにちわ ゆうじです。
前回の桜井識子のブログの続きです。ヘミシンクやブルースのいう所の「I/There」とかトータルセルフとかオーバーソウルとかそういう存在というか”本来の自分”への気づきの解釈というか理解の仕方は受け入れやすいですね。
迷子状態の魂は、こちらの世界にいる時の「設定」から離れた、まったくのフリー、〝本来の自分〟です。
ここで気づくのは、過去世のどれもが「自分そのものではなかった」「100パーセントの自分ではなかった」ということです。
多くの人生を生きてきたけれど、どの人物も〝魂の素の状態の自分〟と、同じではなかった、と〝わかる〟のです。
たくさんの過去世がずら~っと並んで見えると、その人生を生きていた時の人物(性格とか生き方)も見えてきます。
ここまで見えたら、「その人物には、たしかに自分の魂が入っていた。でも、それは〝自分〟そのものではない」と、しっかりと〝わかり〟ます。
それぞれの人物は、長所や短所が違いますし、考え方も違います。
生き方そのものも違います。
それはなぜかと言いますと、魂は、たくさんの人生を「経験」する、からです。
ですから、そのうちのどれかひとつの人生が、もしくは、どの人物かのひとりが、自分そのものではないというわけです。
魂は、多くの人物を経験します。
それは、言ってみれば、巨大な木のようなものです。
中心の幹が魂であり、ある時はこっちの葉っぱの人生を経験し、違う時代では違う葉っぱの人生を経験する……。
こうしてたくさんの経験(人生)を、葉っぱとして持ちます。
私で言えば、今の桜井識子も葉っぱのひとつであり、貴重な体験をしているさいちゅうです。
繰り返しになりますが、転生は、大木に茂っている葉っぱのようなものです。
今回はこの葉っぱだけど、次はこっちの葉っぱ、というふうに、移っていくことを思えば、今世の自分が持っている〝宝物〟がなんなのか、気づくはずです。
今世の自分が持っている〝宝物〟はその通りだと思います。
過去生の自分に関わらず、そうだと思います。
その後も続きますが、どうやら本題はこの次のようですね。
楽しみです(笑)
ではでは、このへんで