こんにちわ ゆうじです。
Mさんが亡くなられて、もうだいぶん経つのですが、なかなか会いに行くことが出来なかった。
悲しみにくれるほどのお付き合いでもなかったとは思います。
奥さんから会いに行ったかと云われると、ごあいさつ程度とあいまいにしていた。
実際、それはそうなんだが。気楽に行けると思っていたら、そうでもない。
なかなか出来なかった。
最近になって、意外に喪失感があったのね。と気づいた次第。
年長者に対して失礼な言い方かもしれないが、好意的に扱われたので仲良くさせていただいた。
今でも特に、そう思うのは、北千住浅草の練習会。あれは、本当に良いご招待でした。
非物質がリアルにある世界として感じたのは、あの練習会を通してですね。
実際、リアルな処刑場跡でもありましたからね。ちと、ビビってました。
あれから、「愛を感じる」を日常行うようになりましたしね。
それでOKなんだと、気づきがありました。
それまでは、どこか劇場を見に行くかのようなアトラクション的な感じで、その時だけでしたからね。
現実逃避だったような...
練習会の前に、3人で浅草を回ったり、喫茶店で休憩してた時のことをなんとなく、思い出してたら、
なんとなく挨拶をして会話になっていた。
私「〇〇のメッセンジャで、Mさんの云ってたこと書いちゃった。人によっては嫌な内容かもね。許してね」
Mさん「そんなこと、あたし気にしないわよ」(ちょっと雰囲気違うけど、そんな感じ。)
Mさん「あれは私の体験から来たものだからね。解釈者の覆いってことよ」
私「あれ、聞いた時は違和感しかなかったけど、だんなさんから聞いた後なら聞き流してたと思う」
(しばらく、関連するある○○○○の話を、聞いたりした。)
Mさん「今、そういう心配ごとが出てるんだから、あのとき何か感じてたのかもしれないわね」(言葉の再現が出来ない。)
私「そうかもですね。実際、あの時軽い悪口の途中で出てきた話でしたね」
(あの時は若干引いたんですけどと伝えると、そういう価値観だったから仕方ないみたいなことをさらりと云われた。)
私「あれ、どうなりますかね。親の物を大切にする子供ばかりじゃないですからね。そもそも、問題は...」
Mさん「まぁ、ブルースがうまくやるわよ」(面倒くさくなった感じ)
私「えー、ほんとに?」「じゃ、これ証拠になりますかね(笑)」
Mさん「そんなの証拠になるわけないわよ」
私「えー」(笑)(笑)
浅草を回った時の話をしたりして、感謝を伝えて、せっかくだから、お約束でメッセージをもらう。
メッセージは、「深刻に考えすぎると損する」でした。云い方は違うんだけど。
確かにね。
深刻劇場のような世界に囚われると、生きてる人でもリトリーバルが必要ですよね。
ではでは、このへんで