こんにちわ ゆうじです。

 

最近、読んだこの本でも、「舌で見る装置」のことが書かれてあり、とても興味深かった。

 

 

色んな事例が紹介されてもいるが、五感の経験、特に視覚の話が興味深かった。

以下は、その一つ。

 

3歳の頃、視力を失ったマイクは、その後実業家となっていた。

(彼の話は、視力を取り戻した20人の本で紹介されていて、その引用と思われる。)

マイクが視力を失って、43年後新たに開発された手術方法により彼は視力を取り戻すことができた。

手術後、二人の子供を初めて見る感動的な場面で、マイクは嬉しそうだがぎこちない笑みを浮かべていた。

彼は、ひどく困惑してそれを見つめていた。

 

それは、何故か?

まだ、彼の脳は、入ってきた大量の情報をどうすればよいのかわからない状態だった。

彼が経験したのは、息子の顔ではなく解釈できない色と光の感覚、目は機能しても視覚が無いに等しかった。

 

作者は、「脳がどうやって見るかを学ぶ必要があるから」としている。

 

視神経から流れる電気的・科学的信号を、視覚として解釈する機能が無かった、もしくは育っていなかったと云えるかもしれない。

脳は、どうやって見るかを学ぶ必要があったのかもしれない。

 

この辺、ブルースの非物質の知覚の話とも似ていて、興味深い。

 

マイクは、その後我々と同じ視覚を得て、日常を過ごしているが、視覚を後から得たことで初めて得られる興味深い気づきについても語られている。

 

それは、家の廊下を歩く経験について

 

マイクは、視力が無くても視覚以外の感覚によって、家の廊下の壁が平行であると認識をしていた。

 

絵画の遠近法を思い出してもらうまでもなく、長い廊下の起点に立って見れば、天井や床の境界線は、奥に行くほど狭くなり収束する線を描くことになる。

視力を回復したマイクにとっては、この収束する線というものが理解を超えていて、納得が出来なかったそうです。

 

そして、著者が、もう一つ似た事例を紹介しています。

 

子供の頃、目の見えない女性が、部屋の家具やレイアウトのことを良く知っていることにびっくりして、目の見える人よりも正確に家の見取り図が描けるのではないかと思って聞いてみたそうです。

見取り図は描けないという意外な答えが返ってきた。

 

そもそも目の見える人が、どうやって3次元を2次元上の紙に描けるのかが理解できない。

その発想が理解できなかったそうです。

 

まあ、視覚を持たない人に見えない見取り図を作る価値もないから当たり前かもと思ったのですが、我々の視覚というものは、視点が同じであれば2次元に下位互換可能なものかもしれないですよね。

 

 

 

ではでは、このへんで