こんにちわ ゆうじです。

 

感謝でも、無条件の愛の効用を説明する上で、感謝に抵抗を感じる人を思い出したので、こう書いたのだけど、

 

感謝を強要する人が身近にいて、感謝という言葉に反応する人も居るみたいだけど、感謝を強要する人の裏にあるのは見返りだから、それは何かの取引なんだろうな。それは、愛とか感謝ではなく、欠乏とか渇望なのだろう。これをやってると、本当に欲しいものからより遠ざかるような気がしてならない。

 

でも、感謝を強要してくる人っていっても、たまたまのこともあるし、どんどん強化されてくる人もいる。

そういう人は最初からそうだろうか?

とか考えていた。

 

前回、Youtubeでの説明をまとめている下のブログで「互恵」という言葉が使われていた。

 

感謝より前に存在したものは、「互恵」だといえます。互恵は相互利益のために物事を互いに交換するように生物を仕向ける生物的なシグナルのようなもので、特定の魚や鳥、哺乳類などで互恵に基づいた行動が確認されています。しかし、生物の中で最も互恵的な行動を行うのは、人間を含む霊長類です。

霊長類の脳が「他者が自身に『何か良いことをしてくれた』」と認識すると、感謝の反応が生じて、お返しをしたくなる衝動が生じます。

感謝の気持ちによって霊長類はお互いを気に掛けるようになったわけです。

人間は特に他者の感情を読むことに優れており、「利己的な人」を見分けて避けることが可能です。
 

互恵を、ググると「(国と国とが)互いに特別の便宜・恩恵などをはかりあうこと。」とかあったりするんだけど、その他に、互恵的利他主義というウィキ君のリンクがあった。こちらは、生物学上の用語です。

 

 

利己主義の反対が、利他主義。共同体や動物の社会的行動の中で、自己を犠牲にして他を活かす行動、鬼滅の刃の中での『鬼殺隊』の自己犠牲的なものを想像しても良いかもしれない。

で、互恵的利他主義に戻すと、最初、聞き慣れない用語が多くて理解出来なかったが、概要のチスイコウモリの例で理解できた。

集団で洞穴に住むチスイコウモリは、夜動物の血を吸うのだが、吸えなかった群れの仲間に血を分け与える行動があるのだそうだ。ここまでなら、愛のある話なのかもしれないのだが、いつももらってばかりいる個体は群れから追い出されるのだそうだ。

まるで「いかさま師」を探せという本能でもあるようだ。(群れとしての生存戦略の機能でもあるのだろう)

 

70年代の生物学者が、互恵的利他主義、親の投資、親子の対立の理論まで提示していることを寡聞にして知らなかったです。

動物レベルで、これをやっているということもです。

 

互恵的利他主義というのは、条件付きの利他主義というわけです。

お互いに与えあうことをルールとして捉え、違反者を除外する。(極端に考えると優性思想に繋がるかもしれない。)

この延長線上で、もらえないなら与えないを自分の中のルールとして、これを感謝に当てはめて、親子の間で感謝の確認行為をしているのではないでしょうか?

この確認行為を親子間でされると、ムッとすると思います。

そもそも感謝なんて形のないものだったりもしますし、やれと云われるとやりたくなくなるものですしね。

 

そもそも生物学上の定義なので、愛とか感謝とか考えない視点とも云えます。

 

存在が愛しいとか存在自体に感謝があったり体験としてあれば、異なる視点で見えてくるかもしれません。

でも、ある意味、成功体験ないとつらいかもね。

気づいてないとか気づかないようにしてるとかいうのもありますからね。

 

ではでは、このへんで