こんにちわ ゆうじです。

 

ちょうど、その頃「荘子」の記事を書いていたり、マインドフルネス関連から仏教系のサイトなどを読んでいたこともあり、コロナ騒ぎで思ったのは無常ということでしょうか?

ずっと、続くものはない。ずっと続くことはない。

 

東日本の震災の後に感じたものと似ている感覚でもある。

関西の震災の後に地震について考えていたことがあった。次に震災が起きるとしたらどこだろう?

東海、関東の震災が騒がれていたが、人々の意識に上るうちは、起きないものだ。

ひふみ神示で云われる丑寅の金神、丑寅と云えば北東、日本の北東で起こる地震とかあるよなと考えていた記憶がある。

でも、すっかり忘れていた時に起きた。

 

今回のウィルスも感染症が100年ごとに起きてきたとどこかで読んだことがある。

また起こるかもと、そんな話を読んだ後には誰もが思ったことだろう。

そしてすっかり忘れていた。

 

次に続くものも、想定できなくはありませんが、ずっと続く災害もありません。

とはいえ、影響は長く残るかもしれませんし、今は解りませんね。

 

マインドフルネスで感覚の一つ一つを焦点を合わせると、永遠に続く感覚がないことからも無常を実感として得たりもしますが、人類史的なものとしてのリアルな無常というものを感じる機会というのは、めったにないことです。

今までにないことが、世界的に起こっている。

ある意味、ワクワクもします。こんな自分は、不謹慎ですね。

 

でも、今回のことが個々の人の現実に与える影響は、それぞれです。

当たり前の話なんですけどね。

北海道の地震の時でも、あれはあれで、結果として楽しく過ごせましたしね。

影響のないままに終わる人もいるかもしれません。

多大な影響を受ける人もいる。

 

関連して起きることもありますし、そういうことを想定し判断することもあるでしょう。

煽ってくる人や情報も多いですが、そんなものに振りまわされても仕方がありませんし、

自分の不安や感情に振り回されても良いことはありません。

当たり前のことは当たり前に。

 

こういう時は、不安商法で煽る人たちも出てきます。

感情を煽ってくる、不安を煽る、期限を迫る。

期限付きで焦らせたりする、巧妙な手口だったりするかもしれません。

でも、正常な判断が出来ないことを利用するわけですから、詐欺的な商売です。

 

これに宗教やスピが絡むと、あまりにも品がない。

中には、自分の不安に煽られてるのかへんてこなのもいるようです。

 

自分の中のエゴが見え隠れする瞬間でもあります。

こういうことを書いてる自分は、動じない自分でありたいのかな?とかね。

こう書いてると、少し達観して賢そうかなとかですかね(笑)

 

2ヵ月前くらいまで、正義をちょいと振り回しておりましたので、だいぶ静観できるようになりました。

最初は、感情のコントロールの訓練を兼ねた実験と観察のつもりだったのですが、いろいろ制御に失敗しました。

青い鳥を追いかけても、幸せは見つからない。というのが結論ですね。

青い鳥は、眺めるだけで良いのです。

 

今は、あれですかね。

最近、気になるのはコロナで右往左往してる人を、愚か者扱いする自称賢人たちですかね。

カルマを押し付ける人や選民思想と同じ匂いがしますなぁ。

少し上の立場にいると認識して安心したいのかな。

 

カルマとか課題を想定するならば、

もし、みなを引き上げないと、クリアできない課題ならそんな人たちはどうするんだろう。

でも、人はそんなに簡単には、変わらない。

人は、自分の気づきでしか変わることは出来ない。そんな無理ゲー。

 

変わらない人たちに、気づきを与えるだけの存在として、救世主を求めるのでしょうか?

変わらない人が、そんな気づきに耐えられるのかな?

耐えられないから、救世主は磔にされるのでしょうね。

 

そんな妄想をしております。

 

ではでは、このへんで