こんにちわったら、こんにちわ。ゆうじです。

 

前日に、ヒューマンデザインの無料Zoomでのライブセミナーを聞いてたせいか、「満足していない」に反応してコメントしてしまいました。

ライブセミナーでは、シグネチャー、つまりジェネレーターの満足、プロジェクタの成功、マニフェスターの平和、リフレクターの驚きの話もありました。

人類の70%が、ジェネレーターなので、満足感をゴールとしているのであれば、この説はありだと思ってしまいました。

Not Self (自分らしくない状態)が、フラストレーション(不満)なので、不満を持つ人が、ゴールとして「満足」を目指すのはある意味解りやすい。

コメントでは、理解の外としましたが、解らなくはないのです。

 

うちの奥さん含め、そんな人いるいる。と思いますし、そうなんだな。と、人のこととして理解できても、自分に置き換えると、やっぱりわからん。

その物差しは、私持ってません。という感じ。

逆も、きっとそうなんだろう。


ちなみにうちの奥さんは、5Kの散歩コース1周では不満で、2周で満足です(笑)

そして、私は、1周でお腹いっぱい。

うちの奥さんを参照すると、満足=「お腹いっぱい」かと云うと、そうでもなく量と質のバランスが大切みたいです。

 

しかして、コメントで返されたプロジェクターは「成功」ですよね。という問い?

 

でも「成功」って、ピンと来ないです。自分だけかな?

でも、NotSelf(自分らしくない状態)の「苦味」は良く解る。

「苦味」のない状況を作れると快適ですね。

自分らしくない状態でない、自分らしい状態なので当たり前ですが、それが「成功」という訳ではない。

 

「苦味」の中で、ほの暗い「成功」の喜びを感じることもあるかもしれないし、「成功」の喜びの中で、若干の「苦味」を感じることもあるような気がする。

 

Shinoさんが目標の達成=成功?ということをコメントされたのですが、「目標設定」に苦味を感じる場合、どうすればよいのだろ?

夏休みの終わりになって、「先生、まだ夏休みの予定が出来てません。」という感じ。

「あ、でも夏休み楽しかったです。」で、宿題やらずにすめば「成功」か?

これは、夏休みの工作課題は作っても、夏休みの友は、4日目くらいまでで終わるあほの子の話です。

 

話を戻します。

 

「苦味」を無くす結果が、「成功」にはならない。というとこが、プロジェクターの悩ましいとこなのかな?

 

正しい相手をガイドして、変容した時に「成功」の喜びを感じると云うのですが、

人をコントロールしようとしているようで、忌避感を感じるのです。

ただ、「招待」のない人に変容を促して、苦い思いをした経験則から来るものかもしれません。

 

そして、コントロールする輩に対しては、自分の中にもの凄い嫌悪感を感じます。

(スピや宗教の人に、一定層これがいる。それにのっかるうましかもいる。)

 

まあ、自分の場合、諸葛孔明の三顧の礼くらい確認しても良いみたいなので、待って待って依頼がなくても「苦味」のない状態なら良しと云う所に落ち着くのでしょう。でも、北海道来てうちの奥さんと結婚したのは、間違いなく「成功」で、自分の中では流れに任せた、サレンダー的な感覚でしたが、正しい招待を受けたと思ってる次第です。これは、市川さんのリーディングに中にある、人生をコントロールせずに、人生に身を任せた結果とも重なるので、そういうことなんだろう。と思うところです。

 

ではでは、このへんで