こんにちわ ゆうじです。
仏教が前漢から後漢の間位に中国に伝わってきた後、西晋の頃、大乗仏教の仏典が翻訳されたわけですが、新しい概念が入ってきたときに、既存の知っている考えを用いて説明されることになります。仏教の場合も同じだったわけです。その翻訳の過程で、似ているが厳密には異なる考えが混入されてしまうことがある。
翻訳ではなくても、私たちの個々の成長過程でも似たようなことは起こります。それが国単位でも起こりうると云うことですね。
そのことが「荘子」の中でも語られます。玄侑宗久さんの真面目というか知的さを感じるのは、老荘だけではなくて、儒教の「中庸」が仏典の翻訳に用いられたことを具体的に示しているところだったりする。「老子」「荘子」「淮南子」などからの言葉が翻訳に使われたようである。そうなると当然、そこには老荘思想が強く流れ込むことになります。般若心経にある「色即是空」の「空」も、当初は老荘の「無」になぞられて説明され老荘的仏教であったそうです。
三国時代の後、統一した晋があっけなく衰退した後の五胡十六国時代にインド人の僧鳩摩羅什が、大きく是正したみたいではありますが、一度受け入れられたものは、どこかで残っていくものだと思います。
実際、その後インド人達磨を始祖とする禅宗が、道教の盛んであった地、嵩山を本拠地にして、その後拡大していきます。
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だから、スマナサーラ長老がこんな本も書かれたりするんだなと、ちょっと繋がりました。大乗仏教に対する批判だけかな?日本人、般若心経好きだからね。
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般若心経は間違い? (スマナサーラ長老クラシックス)
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(「荘子」からの引用)
ちなみに、日本においては聖徳太子の時代にすでに、儒教、仏教、道教の影響が見られます。聖徳太子が定めた冠位十二階の最1位である大徳は「麻卑兜吉寐(まひときみ・冠位十二階の最上位)」とも呼ばれますが、これは『荘子』に出てくる真人に由来します。また、大徳に対応する色は紫とされました。紫は道教で好まれる色ですから、ここにも道教の影響が見られます。
まひときみは、「真人の君」なんでしょうか?
日本では、儒教、道教、仏教がほぼ同時期に入ってきて、それを一緒くたに受け入れられる日本人って何でもありだなと思う。まあ、悪いところを見ると、本来のものから離れたとしても、他所から来た新しいものを権威として、利用する傾向があるとも思ったりもします。
ではでは、このへんで

