こんにちわ ゆうじです。

 

荘子の続きを書く前に、こっちに触れておく必要がありました。

決して書くのに行き詰ったからじゃないからね。

 

問えば答えがやってくるみたいに、良いタイミングで書かれていたありがたい記事。

(青字は引用)

この記事の中では、例として挙げられている怒りの感情に飲まれた状態である同一化が、結局過去の経験から癖になったパターンであり、私たちの自動化されパターン化した反応だと教えてくれます。

 

マインドフルネスやビッパサナー瞑想にある動作の実況中継をしたりしていると、私たちの肉体が勝手にやる自動的な動作や一つ一つ丁寧に行おうとしても無意識に端折る癖があることに気づかされます。それと同じことが心の中で起きているわけです。それは、なかなか、気付けない心の癖です。なかなか指摘されることもないでしょう。

 

多くの人は、怒りの感情が生まれると、誰かを攻撃したり、誰かを批判する考えが浮かびます。

 

こういうものは人間だもの。と思っておりましたが、中には自分への共感がないだけで怒りに火が付く方もおられるようです。また、ある方はただその人の態度で火が付いたりします。また、ある方は無関係の第3者を投影して火が付いたりします。こういうのも、長年のパターン自動化です。

 

この記事は、下記で締めくくられております。ブッダが語った生きる苦かもしれませんね。

 

 

動物と人の違い
 
この自分を観察するというのは、人独特の能力なのだと思います。
人はこの脳の力のおかげで、動物のように自動化されたパターンに従って生きるだけでなく、意図をもって行動を選べるようになったのだと思うのです。
でも、この能力が別の使われ方をすると、他の動物がしない "自分を苦しめる" ように働く場合もあります。
人特有の能力は、人が持った特権でもあり、人を苦しめる元でもあるように思います。

 

ではでは、このへんで