こんにちわ ゆうじです。

 

さて、原始仏教のスリランカのテーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老自身の体験を、第3章 死んだらどうなるか?の話の続きです。

前回はこちら。

基本的に法話を本に纏めているので、万人向けの話にしてあるし若干説教(仏教的な意味で)くさいところはあります。

 

 

 

(以下青字は抜粋)()内は、補足しました。

あれ(地獄)はまあ、大変低い次元で、不思議な世界です。みなさんもけっこう行ったことがあると思いますよ。瞑想でもして自分の過去を思い出せば、自分がなにをやってきたか見えてきますし、もちろん地獄も簡単に思い出せます。ただし我々は3次元にいて、今の脳細胞、今の(物質的な)目では、ほかの次元を何一つとして(物質的に)体験することはできませんから、地獄のような人間の世界を思い出すことになります。仏画の中でも、地獄として描いているのは、やっぱり人間の世界なのです。(この後は、人間の世界における地獄を生きる人の話、怒り、恐怖の刺激に生きるヤクザの話とかがあります。)

 

非物質の体験と、物質的な体験を分けているようにも感じられます。区分けしているか、体験が役に立つ立たないで分けているかは判らないところです。単純に、地獄は現実の世界にもあるとも解釈できますが、下記に続きます。

 

人が死ぬとき、しばしば心がそのような次元に落ちてしまうことがあります。すると次に生まれ変わったときには、怒り、恐怖、激痛などを食べて生きる生命になります。彼らには、我々のような口はありません。でも、怒りを食べるのに口はいらないのです。地獄は、そういうふうに激痛や恐怖、並々ならぬ苦しみを食としている次元です。死ぬ瞬間に我々の心の次元がそういう痛み、憎しみ怒りを快楽にするようになってしまったら、危ない。地獄へ落ちてしまうかもしれません。

 

食という言葉を使っていますが、激痛や恐怖や怒りをエネルギーにしている次元に生まれ変わることがあるという話です。ヘミシンクやブルース的な解釈なら、そういう側面がF24から26のどこかに行くという話となりますね。側面をエネルギーと考えるか?そういうエネルギーを持った側面と考えるか?ヘルパーは、阿弥陀如来の化身と云えるのかもしれません(笑)

 

ヘルパーの存在を受け入れやすくする宗教的なしかけなんでしょうね。あまり有難そうにみえない方もいると思うのだが(笑)でも、臨機応変に受け入れやすい人に化けるからな。あっ、だから、化身ということか(笑)

 

ではでは、このへんで つづく

 

こういうのは、人の体験を解釈するようなものではあるので、下品な行為ではあります。

(ワークショップとかでやっては基本駄目なやつです。複数の解釈を試みると云うのは、視点の獲得にも繋がりますが、練習は、自分の体験でやれば良い話です。)