こんにちわ ゆうじです。

 

脳内有識者会議ってタイトルを付けながら、触れてもいなかった(苦笑)

主人格のharuさんの頭の中では、常時5,6人がいて一斉にしゃべるときがあってうるさいときがあると云ってました。

ただし、全員ではないので、脳内有識者会議と名付けているんだなと思ったわけです。

 

通常、脳内でしゃべる声は一人で、理解できない声が聞こえるとしたら異常だと、ええ自分も昔は思っていました。

今は、やっていますが、自分の場合はせいぜい対話までですね。相手の話を聞き取る感じだからか、一斉にしゃべるという事態にはならない。

 

さて、2015年に公開の映画が、脳内会議をコミカルに描いていて面白そうだったのを覚えています。主人公の「脳内会議」を可視化する試みはすごいな。と思ったわけですよ。

そして配役が秀逸だな。西島と吉田羊は、嵌ってるわ。

『脳内ポイズンベリー』映画オリジナル予告編

櫻井いちこ - 真木よう子 主人格


吉田 - 西島秀俊 〈理性〉日和見なまとめ役
石橋 - 神木隆之介 〈ポジティブ〉
池田 - 吉田羊 〈ネガティブ〉
ハトコ - 桜田ひより 〈衝動〉 ?衝動と云うよりは、子供。インナーチャイルドに近いような。(あまり傷ついていない)
岸 - 浅野和之 〈記憶〉記録係

 

 

で、最近この原作コミックを読んでいたので、個人的にはプチシンクロでありましたよ。

 

 

ちなみにこの本の中の脳内会議には本人はいない。脳内での独り言、もしくは会話って個人差あるような気がするんよね。

 

んでもって、この原作コミックの作家のあとがきが良いのですよ。

(あとがき)

脳内会議は何のために行われているのか?

 

(本来は)現実を正確に把握し、自分の望みを叶えるべく、ベストな対応策を出すため。...のはずです。

しかし、現実の脳内会議は大抵、現実を知らず知らず自分の眼鏡(フィルター)で

歪めて受け取り、死角に気付かないまま、自分の視点で議論を進め想像で作り出した仮説をほぼ事実と思い込んで、考えをどんどんふくらませ、結論を出し、行動したりしなかったりします。

 

そして、(逆に)「あの人はああいう人」と(自分の)周囲の人の脳内会議で結論づけられる

(まったく)なんのための脳内会議なのか!

 

私はこの脳内会議、そのものがアイデンティティなのだと思います。

延々会議をし、何度も議題にあがったものが自分の執着しているものであることを思い知り、何度も何度も未来をシミュレーションし、過去を振り返り(過去といっても脳内に記録されている加工済みの過去ですけどね)やっとのことで一歩、半歩踏み出すに至る。

 

脳内会議がなかったら、人はただものを見て聞いて、ペロッと答えを出すだけの例えるなら券売機みたいな単純な機械になります。だから、いーんです。大いにくだらない会議をして、考え違いをして、あたしってバカ、俺なんか死ねばいいと嘆けば良いのです。にんげんだもの。ああ、なんてめんどくさい。それがなんていとおしい。

(あとがき終わり)

 

あとがきの結論は、人間讃歌になっていて良いのですが、途中面白いキーワードで、いっぱいです。

 

非物質の世界も、同じことが云えます。非物質の世界で体験したものも、このフィルターがあることを忘れるとね。結局、にんげんだものってことになりがちです。まあ、それも善きかなです。

 

とはいえ、いつまでもにんげんだものって云ってるのもあれなので、フィルターの一因になるいらない信念とかを何とかしようといろいろ試みてるわけです。それと同時に、絶えずそれは本当なのかという問いかけと検証する姿勢も必要なのよね。

 

いろいろバランスが大切ってことです。

自重、自重と自嘲するなりよ

 

ではでは、このへんで