こんにちわ ゆうじです。

 

自分で書いた記事で考えさせられたりしております。

文庫版「ジョジョの奇妙な冒険」作者あとがきより

 

この第5部「黄金の風」を描く時にぼくは考えました。では、「生まれて来た事自体が悲しい」場合、その人物はどうすればいいのだろうか?人は生まれる場所を選べません。幸せな家庭に生まれる人もいるし、最初からヒドイ境遇に生まれる人もいます。
で、もし「運命」とか「宿命」とかが、神様だとか、この大宇宙の星々が運行するように、法則だとかですでに決定されているものだとしたら、その人物はいったいどうすればいいのだろうか?そのテーマがこの第5部「黄金の風」の設定であり、登場する主人公や敵たちです。
(中略)
彼らは「運命」「宿命」に立ち向かい、それを変えていく事なんてできるのだろうか?
そのことをずっと考えながらこの第5部を描きました。執筆した時期とか状況もあってとても苦しく暗い気分になりました。どうしよう?「運命」とか「宿命」とかが、そんなに簡単に人間の努力とか根性とかで変えられたら、そんなの最初から「運命」なんて言わないと思うし、軽々しすぎる。そう思いました。

 

自分はどうだろう。とふと考えます。

特に過酷と思ったり、運命を呪ったりしたことはないかな(笑)

運命とか宿命について、あまり考えたことがなく、わりと平凡な家庭環境で両親もまあ、今考えるとではありますが、まともでありました。

とはいえ、父親に対しては、良い感情は持っておりませんでした。

その時の感情は思い出せはしますが、今では感情の波は起こりません。

そこは、解決済みな感じです。

 

「生まれて来た事自体が悲しい」からは、ほど遠いかもしれません。

でも、「生まれて来た事自体が悲しい」というのは分かるものです。

この哀しい感情は、親から否定されただけでも起こります。

自分の場合は、単純に自分の父親のコミュニケーション能力の低さによるものかと思われます。

今の自分なら、分かりますが大人になったからと云って、そんなに本質的な能力は上がらなかったり、家族に対してはお互いの甘えを前提にしたコミュニケーションだったりもしますからね。

表層の感情と不器用なコミュニケーションに行き違いを重ねて、憎しみあったりもするのですが、本心は、意外と別にあるものです。

お互いに解ってるつもりが、恐れと不安から互いの本心を疑ってしまいます。

人はなかなか分かり合えないものです。

家族の方が誤解を生みやすいのかもしれません。

何かのきっかけで簡単に膨らんでしまったりする。

 

子供のころって、理想的な大人像があってね。

きっと、そうなるもんだと思っていたけど、そうはならないもんだから、笑ってしまうよね。

本質的な成長は、年齢に比例しないものだということを身をもって知ると許せることは多くなります。

人間には凸凹あるもんだということの気づきが、あるかにもよるかもしれませんけど。

 

そういう凸凹、持って生まれた特性としての宿命と云うものは、あるかもしれませんが、運命というものは存在しないと考えております。

過去や未来は改変できるという考え方です。

過去については、記録があったりするという方もいるでしょう。

過去が無くなることはない。というのは信念かもしれないという考えです。

まあ、そうはいっても、信じられないですよね。

歴史修正というのでもないです。これは、お勧めできません。

 

過去にある感情による問題が無くなると、過去の記憶を思い出さなくなっていきます。思い出しても感情を刺激されなくなります。

反応したとしても、感情を味わいなおして自他を許すことが出来るようになっていきます。

 

BMメソッドのレベル3で、側面のリトリーバルのための誘導瞑想によって、運命と云う思い込み、信念に気付く機会になるかもしれません。

 

レベル3をやった方は、これをお勧めします。ワークショップでは、出てきたものをリトリーバルしますが、

自分の場合は、側面を作っているものは、BMメソッドで、感情の問題はセドナメソッドでようやく落ち着いてきました。

 

ようやく、レベル3の話にもっていけたぞと考えながら、札幌のレベル3、10月予定が12月にずれ込みそうな感じになっています。

 

ではでは、このへんで