こんにちわ リブログです。

 

ついうっかり、ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風の最終話を見てしまった。

連載中もラスボス終了後のこの不思議な石のスタンドの話がいるのか?付け足し、蛇足に思えたのだが、このキャラクターの容姿のヒントにまったく気が付いていなかった。いばらの冠を模した頭の飾りに、ミスタに両手を撃ち抜かれることでキリストの暗喩があったのですが、それが運命論、宿命論に結びつかなかった。

 

世の中には、考察好きな人が多いようで、一杯載ってました。プッチ神父は、第6部の最強スタンドを持つ人物です。

もうひとつ

ジョジョ第5部の最後に「ローリング・ストーンズ」のエピソードが必要だった理由

 

もうひとつある意味、神である作者のこのコメントも重要だろう。

 

文庫版「ジョジョの奇妙な冒険」作者あとがきより

 

この第5部「黄金の風」を描く時にぼくは考えました。では、「生まれて来た事自体が悲しい」場合、その人物はどうすればいいのだろうか?人は生まれる場所を選べません。幸せな家庭に生まれる人もいるし、最初からヒドイ境遇に生まれる人もいます。
で、もし「運命」とか「宿命」とかが、神様だとか、この大宇宙の星々が運行するように、法則だとかですでに決定されているものだとしたら、その人物はいったいどうすればいいのだろうか?そのテーマがこの第5部「黄金の風」の設定であり、登場する主人公や敵たちです。
(中略)
彼らは「運命」「宿命」に立ち向かい、それを変えていく事なんてできるのだろうか?
そのことをずっと考えながらこの第5部を描きました。執筆した時期とか状況もあってとても苦しく暗い気分になりました。どうしよう?「運命」とか「宿命」とかが、そんなに簡単に人間の努力とか根性とかで変えられたら、そんなの最初から「運命」なんて言わないと思うし、軽々しすぎる。そう思いました。

 

 

ではでは、このへんで