こんにちわ ゆうじです。

 

千歳まちライブラリーにあった本が面白かったのでご紹介です。

 

実は、新版では、「QT 質問思考の技術」から「すべては「前向き質問」でうまくいく 質問思考の技術/クエスチョン・シンキング」にタイトル変更になっています。QTは、Question Thinkingのことです。

 

前向き思考の紹介文を引用すると、こんな感じ。

前向き質問(クエスチョン・シンキング)とは、「自分自身や他者への質問を変えることで、前向きな思考や建設的な結果を手に入れる思考法」のこと。

 

「なぜこんなことになってしまったんだろう?」 → 「なにをすればうまくいく?」
「なんでみんな言うことを聞かないんだ?」 → 「みんなに協力してもらるベストの方法はなに?」
「なんであの人はいつも怒りっぽいの?」 → 「あの人は何を必要としているのかな?」


上記は、質問を批判者から学習者に変えた変更例です。批判のための質問を、学びのための質問に変えています。

 

人は普通にしていると批判者になって批判者の質問をしてしまいがちです。そこで、常に「選択の地図」と呼ばれている地図を頭の中に入れておくことが大事です。

選択の地図とは、道が二又に分かれていて、一方が「批判者の道」、もう一方が「学習者の道」になっています。

 

批判者の途中から、学習者の道に戻るために自分の中の質問を変えていこうというものです。

副人格的にも、批判のための批判者を良い批判者、自分の目的のための問題点を教えてくれる批判者に変えるという手法かもしれません。

 

自分は、学習者という定義には若干、疑問を持っています。それは、学びや学習が本当の目的ではないはずだから。でも、自分が学ぶためにと云う考え方は、健全で有益なんです。一方、批判者はもう批判が目的になってしまい、間違いや失敗にしか焦点を当てないのですから、その行き先は見えていますよね。他人を意見してるつもりの批判は、自分に返ってきます。人の意識は、焦点を当てたほうに向かいますからね。成功する部分もあるかもしれないですが、独善的なものにしかならないはずです。

 

この「選択の地図」で批判者の行き着く先は、泥沼みたいに描かれていて、それを無条件に本の中の登場人物は受け入れていましたが、説明いるんじゃないかな(笑)

 

まとめ記事がありましたので、ご紹介。

マリリーG.アダムス「質問思考の技術」を読みました

 

 

そして、皮肉なことに自分のなかの「批判者」を受け入れたとき、「批判者」から抜け出せる。

 

困難にぶつかった時、次のようなABCCの選択プロセスをとる方法が紹介されています。

Aware   … 私は批判者だろうか?

Breathe  … 一歩下がって立ち止まり、状況をもっと客観的に見る必要がないだろうか?

Curiosity … 私は事実を知っているだろうか?ここでなにが起きているのだろうか?

Choose  … 私はなにを選択すべきだろう?

 

 

変化のための十二の重要な質問

  • 私はなにを望んでいるのだろう?
  • 私はどんな選択ができるのだろう?
  • 私はどんな思いこみをしているのだろう?
  • 私はなにに責任を持つべきだろう?
  • 他にどんな考え方が出来るだろう?
  • 相手はなにを考え、なにを感じ、何を必要とし、何を望んでいるのだろう?
  • 私は何を見落としているのか、あるいは避けているのだろう?
  • 私はこの人(状況、失敗、成功)から何を学べるだろう?
  • (私自身に・相手に)どんな質問をするべきだろうか?
  • どんな行動をとることが最も論理的だろうか?
  • これをどうすればWin-Winに変えられるだろうか?
  • なにが可能だろうか?

個人的には、これが一番大事だと思います。

「私は本当はなにを、望んでいるのだろう?」

 

これも、批判者に気付くきっかけになるかもしれません。

思い込み撲滅の質問

  • 私は自分自身の能力や物事への関わり方について、どんな思い込みをしているのだろうか?
  • 私は周りの人たちの能力や物事への関わり方についてどんな思い込みをしているのだろうか?
  • 私は過去の経験に基づいて、どんな思い込みをしているのだろうか?
  • 私は利用可能な手段について、どんな思い込みをしているのだろうか?
  • 私はどんな限界があると思い込んでいるのだろうか?
  • 予期していないどんなことが私を待ち受けているのだろうか?
  • 私は外的環境や現実についてどんな思いこみをしているのだろうか?
  • 私はどんなことが不可能だと思い込んでいるのだろうか?あるいはどんなことが可能だと思い込んでいるのだろうか?

 

 

自分の中の批判者に気付くことで、ジャッジされても反応しなくなったりするということかな。

 

ではでは、このへんで