こんにちわ ゆうじです。
また、入院と云うのも、3年前に肝臓がんで余命半年と云われたことにショックを受けた母が、陽子線治療の話を聞いて、夫婦で指宿に行ったことを思い出したからだ。
その時の入院は、指宿に行く前の検査入院と何回か受けた抗がん剤治療の間だけだから、実際の入院期間は短いが、陽子線治療のために一月平日毎日通院だから、入院と似たようなものか。
その間は、指宿に通院のためのアパート暮らしを夫婦でしていた。
そして、その治療のかいあって、酒が少し飲めるくらいに回復というか、がんは無くなった。
(医者が、酒も適量なら良いといったらしい。)元気になって、奥さんのご両親とも顔合わせに北海道にも来れた。
そうしたらその後、まさかの結核で入院。当然だが、隔離病棟。
これが、結構長かった。5か月くらいだったろうか?
結核は退院後も薬を飲み続ける必要がありこの期間も長かったがようやくそれも終わり。
この間は、結核の薬が強いため、酒は禁止。
去年は、なんとか弱った体で北海道まで来て、函館を回った。
その後、腰が痛いとか、あれこれ病院に行っていたが、今度は、転んで膝上と、足首の骨折...
さすがにへこんでいるかと思ったが、意外に元気でした。
看護婦ともにこやかに会話...
自分にはないメンタルだと思う。いや、そうじゃないか。
いつからか、変わったんだ。
あの肝臓がんが見つかる前、コンビニの店員にブチ切れてた老人と同じ人かと思うこともある(笑)
まあ、自分が見ていたのも、そもそも人の一側面にすぎないということ。
ちょっと母親の方が心配だが、やることある方がしっかりするタイプだから、まあ大丈夫か。
福岡に行く飛行機をキャンセルして、宮崎行きジェットスターに変更しました。
入院の書類やら荷物運びを手伝って、福岡のレベル3に参加して、福岡に行ってる間に手術も完了してました。
長時間の手術でしたが、膝上と足首の骨折処置されました。
見舞いと母親の買い物等を済ませて、ホッと一息で、北海道へ帰ってきました。

ではでは、このへんで