こんにちわ ゆうじです。

 

セドナメソッドでも、こころの機能をPCに例えています。でも、意外に適切な例えかもしれない。脳の機能と似てるところはある。

 

今ならスマホでも良いのでしょうが、PCでもスマホでも無駄なアプリ、不要なアプリが動いていると、ユーザが動かしたいアプリが遅くなったり、落ちやすくなったりします。

スマホやPCで云うと、メモリの容量を食いつぶしていたり...

PCやスマホには、人が操作している以外にも、いろんなアプリ、プログラムが動いています。

例えば、アンチウィルスプログラム、こいつが容量を食いつぶしたり、重たいプログラムだったりすると、本来操作したいアプリが使えなくなったり、使う気にならないほど、遅くなったりする。

悪意あるウィルスには、あるきっかけで突然動き出して悪さをするものもあります。

脳の機能も、同じように気にかかる感情の問題が多くあると、機能低下を招くのは当然かもしれません。

 

そうは云っても、感情を持っても無意識に手放したり、表現して完結させることも出来ている。
でも、時折完結しない感情や、無いものにして忘却したまま残っている感情が、重なって、脳の機能を低下させてしまってはいないか?
あるきっかけで誤動作するウィルスのような感情の問題を残していないだろうか?
こういうのの対応を、クリアリングと云うのだろう。

セドナメソッドに限らず、クリアリング手法はあるが、対象を明らかにするというのが特徴だろう。
秀逸なのは、ポジティブな感情も手放すことを推奨していること。
この話は、また書こうかな。

クリアリングって、原因が何かを突き詰めるのと、何かわからないままやるのと、どっちが良いんだろう?
原因を突き止めなくても、クリアになるならそれでも良い気がするが、原因分からずにクリアされるのか?という疑問がつきまとう。

でも、コップの理論みたいに一杯にあふれてるときには、少し空きを作るために原因分からずにクリアしていくというのもありだし、日常的なものなら、その方が良いんだろう。いちいち、明らかにしてたら疲れるわ。

どちらも、必要に応じてっていうのが真っ当だわね。

この辺はいろいろネタがあるが、今日はこの辺で。