昨日の記事で
「 自分に繋がりたくない 」
と書いた時は
何となくそんな気がした
程度で
ハッキリと自覚があった
わけではなかったのですが
その後
だんだん自分と繋がって
「 本当に私
繋がりたくないんだ!」
と気づきました。
私が自分と
繋がりたくなかった理由(わけ)は
自分を生きる事で
変わってしまう関係性が
寂しかったから
「 自分を生きる 」ことに
覚悟を持って
歩めば歩むほど
「 自分を生きる」意識がなかった時に
ご縁があった人たちとの関係性が
変わっていくことは
どうしようもない事で
執着しても仕方なく
感謝と共に手放せば
また新たな出会いもあり
手放しても
縁があれば再び
新たな関係性が築かれる ということも
分かってはいるのだけれど
やっぱり
寂しさが出てきてしまう
特に
お正月や息子の成人式で
旧友やママ友との再会が
あったりしたので
懐かしくて
「 自分を生きる 」ことを
少しお休みしたくなった
それが
「 自分と繋がりたくない 」
という思いに・・・
でも
逆を言えば
それだけ「 自分を生きる 」
準備と覚悟が整ったということ
だからこその寂しさ
寂しいからといって
「 自分を生きる 」ことをやめて
引き返すことはないから
寂しさに寄り添って
進んでいくしかないですね
昨日、記事を書いた時点では
フッと感じた言葉だったけれど
こんな想いが隠れていたなんて
恐るべし「 何となく 」!(笑)
何となくフッと思うこと
それが 力が抜けて
思考が外れた
本音だったりします。
核心を着いている
何となくの直観の声を
大切に