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この記事の続きです。
昨日のわたしは、言ってみれば「心持ち」が違いました。
気持ち(意識)が、まるで重心のある物体が物理的に前に傾いているような感じでした。
イメージとしては、100メート走のスタートラインで合図を待っているような、スキーをしているときの前傾姿勢のような感じです。
終わった後にヘロヘロになった先日のリハーサルの日は逆で、気持ち(意識)が、後ろにありました。
そのイメージは、動きたくないのに誰かに腕を掴まれて引っ張られている、身体の重心が後ろにある感じです。
理屈はわかりませんが、身体の重心と同じく、心の重心(みたいなもの)を「前へ前へ」向けようという気持ちでいると、心も身体も軽くなるような気がしました。
では、なぜ昨日のわたしは気持ち(意識)が前傾していたのか。
それは、「イベントに出場する子どもたちの真摯な気持ちに、大人として報いたい」という心持ちでいたからです。
―イベントに関わる大人として
子どもたちに恥ずかしくない準備をしたい
昨日のわたしは、そのことだけをずっと思っていました。
昨日のイベントは、今年、私たち大人がゼロから企画したイベントでした。
「1グループ5分以内であれば、舞台を使って何でも発表していい❣️」ということで出場者を募集しました。
特に審査もありませんし、賞品もありませんが、20組、約60人の児童が出場してくれました。
ダンス、ヨーヨー、マジック、リコーダーと鍵盤ハーモニカの合奏、ピアノ独奏、空手演武など多様でしたが、共通していたのは、子どもたちの「発表できることが嬉しい!」という喜びと、真摯な姿勢でした。
リハーサルのときも、わたしが予想していたよりも完成度が高く驚きはしましたが、わたしの心を打ったのはその後です。
リハーサルのとき、ちょっと大人が手伝った方が良いように見えるグループがあったので、2日後くらいに、その子達と話してみたのです。
すると…なんと!!
既に自分達で改善していました![]()
そうやってリハーサルを思い出すと、どの子もみんな顔つきが、とても真剣でした。
そのときわたしは「発表に向けて真摯に準備している子どもたちの気持ちに恥じないよう、大人として真摯に準備に取り組む」
と心に決めたのでした。
そして、それからは、子どもたちの顔を思い出しながら、思いついたことは何でもやりました。
当日、プログラムを貼ったのもその場の思いつきでした。
そうやってプログラムを貼っていると、廊下にいた3年生の男の子が「これ、オレだよ」と自分の名前を誇らしげに指さしてくれたり、出場予定の子のお母さんが「昨夜も友達とテレビ電話で遅くまで練習していましたよ」と教えてくれたりしました。
更に胸が熱くなり気が引き締まりました。
そして、思い出したのです。
わたしは司法試験に9年連続で落ちたのですが(汗)、10回目を受けようとしたある日。
図らずも自分を引きで見ることがきっかけとなり、合格することよりも前に「真摯に取り組む自分になりたい!」と願ったのです。
そして、そんな自分でいるために当初は諦めていたその年の合格を「決め」、そこからはひたすら「真摯に取り組む自分」として無心に勉強しました。
すると、合格までの日々は、昨日と同じように身も心も軽く幸せなものになりました。
昨日はふと、子ども達がそんなことを思い出させてくれました。
ギベコ
