想像と創造の毎日 -13ページ目

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。




 (◎×◎”) ダメよぉ…ダメダメのあけみちゃんも、わりと衝撃的だった。


  日本エレキテル連合が、今も変わらぬスタイルで、むしろ、もっと世の中の笑いの流れに逆行してく(突き放してく笑)みたいに大衆に媚びてないところに好感(?)が持てる。


  ネタは、向かって右の中野さんが作っている。

  初めはそれぞれソロでやってたけど、橋本さんが懇願して、仕方なく中野さんが受け入れてコンビを組んだという。

  中野さんが、橋本さんの空っぽなところが好き。橋本さんは私の作品だ。とおっしゃっていて(wiki情報)、なるほど。とものすごく腑に落ちた。


  橋本さんって、普通に見た目は綺麗なのに、普段も笑ってても人形みたいだな、と思ったことがある。

  でもそれって、中身がないとか、自分がないとかじゃなくて、自分の形が曖昧なんだろうなと思う。

  曖昧といっても、悪い意味ではなくて、動物みたいな赤ちゃんみたいな、ある意味ピュアというか、常識に囚われないというか、そもそも人に合わせる気がない、合わせられないみたいな、そういう印象を受けるのだ。


  二人のコントを見ていると、バタイユとか、谷崎潤一郎(一冊も読んだことはない)とか、ドグラ・マグラとかが思い浮かぶのだが、それらは(バタイユは違うらしいが)耽美主義と呼ばれるらしい。


  二人が演じるキャラは、特に最近の地上波では無理だろうな、と思うのだが、私のTikTokやYouTubeのおすすめに出てくるということは、一部世間の人が、リベラルに傾き過ぎているメディアに飽きてきているということでもあるんだろうと思う。


  世間は無意識に安心安全快適が、死を遠ざけるのと同時に力を奪われることに気付きはじめているのかもしれない。


  この二人が、タブーとも言えるようなキャラを過剰ともいえる演出で突き抜けることに私が惹かれるのは、彼女たちがそういった人物に対して、まっすぐに嫌悪すると同時に好意的である、という二重性を感じるからだろうと思う。


  好きと嫌いは、真逆に振れているのでなく、重なり合っている。

  意味としては反対でも、そこに意識をもってかれている時点で、同じだ。


  なんかわからないけれど、よっちゃんとしーちゃんのコントを何回も見てしまう。

  橋本さん演じるよっちゃんなんて、本当に傑作としか言えない。

  特に色付きサングラスの奥にある一点を見続けているようで何も見ていないみたいな目線なんて、完璧だ。

  片足あの世に足を突っ込んでるみたいな空虚さと、まだまだ死なねーぞ!とでも言いたげな自己主張の強い衣装のギャップが素晴らしい。


  この人たちにとって、好感度とか、クソなんだろうな。

  というか、世間が求める時代の面白さに合わせない、合わせられないことをわかってて、中野さんの興味が湧いたのだろう現実で会ったキャラを誇張し、デフォルメする。


  橋本さんはそこに自分なんて一切入れないで、中野さんの思い描くキャラになりきる。


  どのキャラもキモいんだけど、どこか愛おしいのはなぜなんだろう?


  中野さんの中ではそれぞれのキャラにある背景すら設定されている気がするのだ。

  家庭環境とか、身体的欠点とか、内面的抑圧、そこに付随するどうしようもなさとか、そういうのひっくるめて、リアルでは人を好きになりたいあまりに拒絶しているような。


  うちの娘が他人を見る視点にもどこか似ている気がして。