植え切れなかった苗を取っておいて良かった。
まだ家でなんとなく捨て切れずに育てていた苗を代わりに植え直した。
枯れていくのは、あっという間だ。
あの大きく青々とした葉っぱやピン!と天に伸びていた茎が、茶色くなって小さく萎んで土に還っていく。
植え替えるために触れた土は、ほんのりと暖かい。
手袋越しにもポカポカと、包み込まれるような優しい熱が伝わってくる。
死を取り込んで生きているのは、土の方なのかもしれない。
空から注ぐ光が多用な生命の枝葉を分けて、天へと伸ばしていくならば、大地は多様な命を分けられることのない渾沌へと還し、もう一度ひとつにして抱きしめる慈悲なる存在だ。
パクチーは呼ばれてもいないのに次々と芽を出している。
もはや、雑草である。
しかし私は、花や木の違いが見分けられず、名前も覚えられないのだが、作物はなんとなく見分けられるんだから我ながらおかしい。
しかし土は、すべての命を平等に還す。
土の成分も分けていけばあらゆる要素に分類できるのだろうが、作用の面を見ればそれは新たな生命を生み出すため、全てを一旦無に還す大きな"ひとつ"に感じられた。
"神はなぜ、未完成で未規定なものを作り出したのか。
ハラハラして見ていたいから"
宮台さんが引用したベネディクト16世(だったか??)の言葉が思い出される。
ああ。せっかく育てたのに、枯れてしまった…。
だけど土はその小さな命を抱きしめるようにして神の元へ還す。
師匠の庭の隅、美しい花を咲かせる花壇の片隅で、光も浴びず、肥料も与えられずにいた野生のブルーベリー(クロマメノキか?)がこの度、救出され、堂々、畑の中でデビューした。
買ってきたり、もらってきたりしたブルーベリーの新しい仲間たちと共に、競走し、共存しながらたくさんの実を付けてくれることを願う。
師匠は、あれも育てろ、これも欲しいという私に言われるがまま、木や苗をあちこちに植え替えては移動させ、より多くの種類の作物をコントロールしようと試行錯誤しているのだが、その実。甘く、より多く実り、自分たちを増殖させようと、コントロールされているのは、私たちの方だった。
神は上にいるのか、下にいるのか。
こないだまで真っ白だった山が、あっという間に雪を溶かして、緑を取り戻していたこと。
あれは太陽だけの仕業ではない。
雪の下で目を覚ました命たちが、互いに影響し合って、熱を上げて雪を溶かしてもいたんだ。
未完成で未規定な存在が、物語を動かす。
完璧で絶対的なもの、そして善なるものだけでは、物語は生まれない。


