感覚 (冬登山8回目 望ヶ丘公園トレッキング) | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

 晴れてはいても、前日の低気圧の名残りの強風が汗ばむ身体をすぐに冷やす。


  そんなときは近場でトレッキング。


  トレースがない。


  行く道がわからなくなることは、不安だけではなく、恐怖にも襲われる。


  木々に覆われ、周囲にある風景の区別がつかなくなると、自分がどこにいるのか、自分がどこから来たのか、すぐにわからなくなる。

 


  昨日のベタ雪は、表面だけが固く凍り、一歩進む度にスノーシューが沈む。



  平坦な道でも、足がしずむたびに腹に力を入れなくてはいけない。

  しかしそれが、良い。



  丹田は、体の司令塔だ。

  脳ではない。


  腹に力を込めて、一歩進む度に湧き上がる熱。



  考えるよりも、外で身体を動かす。

  それは、細胞を活性化し、自然のリズムに呼応している感覚に、思考ではなく、心が反応することを確かめる作業だ。



  小高い丘から見える海は、小さな流氷が僅かに点在していた。


  とうとう今年は、この地に流氷が接岸しなかった。



  ここらの小高い丘には、たくさんのアイヌのチシャがある。

  チシャは、アイヌの築いた集会の場であり、砦であり、神事の場だ。



  外敵や病、天災が、彼らの日常を日々、脅かしていたのであろう歴史が、ここにある。



  朝から何も食べていなかった。

  前日の夜に食べ過ぎたからだ。


  でも一時間ほど歩くだけで、腹はぐぅーっと音を立てて鳴いた。


  身体を客観視する脳。

  言葉が、行動の選択の意思を決定付ける。


  オジロワシだろうか。

  大きな羽音が、林から聴こえた。

  脚にはネズミのような小動物が捉えられ、空へ大きく舞い上がっていく。


  言葉が私をあらゆる繋がりから切り離した。


  認知は、自分の存在を確認させるが、同時に世界から自分を疎外させた。


  孤独はいつも、"私"の存在の確認だった。

  

  孤独であるからこそ、感覚を楽しめる。