晴れてはいても、前日の低気圧の名残りの強風が汗ばむ身体をすぐに冷やす。
そんなときは近場でトレッキング。
トレースがない。
行く道がわからなくなることは、不安だけではなく、恐怖にも襲われる。
木々に覆われ、周囲にある風景の区別がつかなくなると、自分がどこにいるのか、自分がどこから来たのか、すぐにわからなくなる。
昨日のベタ雪は、表面だけが固く凍り、一歩進む度にスノーシューが沈む。
平坦な道でも、足がしずむたびに腹に力を入れなくてはいけない。
しかしそれが、良い。
丹田は、体の司令塔だ。
脳ではない。
腹に力を込めて、一歩進む度に湧き上がる熱。
考えるよりも、外で身体を動かす。
それは、細胞を活性化し、自然のリズムに呼応している感覚に、思考ではなく、心が反応することを確かめる作業だ。
小高い丘から見える海は、小さな流氷が僅かに点在していた。
とうとう今年は、この地に流氷が接岸しなかった。
ここらの小高い丘には、たくさんのアイヌのチシャがある。
チシャは、アイヌの築いた集会の場であり、砦であり、神事の場だ。
外敵や病、天災が、彼らの日常を日々、脅かしていたのであろう歴史が、ここにある。
朝から何も食べていなかった。
前日の夜に食べ過ぎたからだ。
でも一時間ほど歩くだけで、腹はぐぅーっと音を立てて鳴いた。
身体を客観視する脳。
言葉が、行動の選択の意思を決定付ける。
オジロワシだろうか。
大きな羽音が、林から聴こえた。
脚にはネズミのような小動物が捉えられ、空へ大きく舞い上がっていく。
言葉が私をあらゆる繋がりから切り離した。
認知は、自分の存在を確認させるが、同時に世界から自分を疎外させた。
孤独はいつも、"私"の存在の確認だった。
孤独であるからこそ、感覚を楽しめる。








