夢と現実のあいだ | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  あれは、中学2年生の4月30日の前日だった。
  当時私は、部活が嫌で嫌で仕方なく、学校のことよりも部活のことを考えると、夜もぐっすり寝られなかった。

  そんな精神状態だったからなのか、夜中に何度も金縛りにあっていた。

  4月29日の真夜中。
  またいつものように意識だけが鮮明で、目覚めたと思うのに、体だけが動かない。
  起きようとしても体はもちろん、目すら開けることができない。
  それが気持ち悪くて怖くて、なんとか手足を動かそうともがくのだが、四肢は意志の命令をちっとも聞いてはくれないのだ。

  それからしばらくして、頭の上からシャンシャンと鈴の音が聴こえてきた。
  いくつも重なるその音は、どんどん自分に近付いてくる。  
  姿は見えないのだけれど、ザワザワと人が話す声も同時に聴こえてきて、そのうち、小さな女の子が私に向かって話しかけてきた。

「お姉ちゃん。今年は待ってるからね。」
  私にはそのとき、罪悪感を持っていることが一つだけあった。
  毎年のお盆のお墓参りを中学生になってから行っていなかった。
  うちの仏壇とお墓は、先祖ではなく、祖母の娘が祀られていて(祀られて??)、きっとその子が私が墓参りに行かないことを幽霊になって怒ってやってきたのだと思ったのだ。

  声も出せない私は、心の中で必死に「今年は絶対に行くから!だから、こっちに来ないで!」とお願いした。
  すると、鈴の音はどんどん遠ざかって、やがて金縛りは収まった。

  大人になって友達にその話をすると、だいたいみんな、その頃に金縛りを経験している人が多かった。
  私が現実だと思っていたあの幽霊の声は、罪悪感の中で私が作り出した幻聴だったのだろう。

  しかしその金縛りの朝。
  私が祖母に「幽霊がきた!枕元で鈴を鳴らしながらやってきた!」と言うと、「ああ。今日は赤ん坊(祖母の娘)の命日だからなあ。」と言ったので、私は薄ら寒くなって、普段無視していた仏壇の前に座り、慌てて手を合わせたのである。
  私は祖母の娘が仏壇にいる(?)のは知っていたけど、その子の命日までは知らなかったのだ。



  黒澤明監督の映画をひとつも見たことがない。

  世界の名だたる映画監督たちが、影響を受けた巨匠だというのは知っているが、なんとなく見る機会がなかった。

  そもそも映画はテレビの再放送で見ることが多かったが、黒澤監督の映画は何度もやっていただろうか?やっていたら、父親が見ていたから、自分もなんとなく見ただろうに全く記憶にない。


  こんな夢をみた。で始まる短編の物語がいくつか続く。

  初めは、狐の嫁入りを見てしまった少年の話で、次が、桃の木の精霊の話、それから雪女が出てきて、そして敗戦後、生き残った将校が部下の幽霊たちに会う話まで見た。


  あとで見た映画の宣伝では、"巨匠が描くすべての人の夢"という言葉が出てくるが、どの話も自分がどこかで聞いたような、いや、見てきたような、伝説とか伝承とかを思い出すようなストーリーだ。


  同時に前に見た柳田國男さんのことを語る小林秀雄さんの動画を思い出した。 

  幼い頃には、日本昔ばなしをテレビや絵本で見ていたことも。

  当時見ていた戦隊モノとか、西洋の童話みたいな勧善懲悪とは違って、何が言いたいのかわからなくて、理不尽さや残酷さだけが後味悪く残る。


  私にとって当時、仏壇の部屋(仏間)は理不尽さの象徴だったのかもしれない。

  死んだ人が食べないものを仏壇に上げることも、忙しくてめんどくさいのに見たこともない人の墓参りをすることも、意味がわからなく、無駄だとすら思っていただろう。


  映画"夢"が、黒澤監督の個人的な夢に基づいて作られたというのに、なぜそれが全ての人の夢なのか。

  現実離れしているのに、どうしてか自分にもなんだかわかる。と思えるのか。


  フロイトは夢を「現実充足、睡眠の守り手」と考え、ユングは「あるがままの姿」で、心の状況を描くもの、共同社会に適応するためにどうしても一面的にならざるを得ない自我、意識に対する補償の役割を果てしていると考えたという。



  さらにユングは、人間の無意識には、個人的無意識を超えて人類に共通して存在する領域があるとし、それを集合的無意識という概念として提唱した。


  黒澤監督が見た夢は、人に共通する集合的無意識の領域だとすれば、私の思春期のあの幽霊も、私の特別な霊感のなせる技ではなく、誰もが無意識にもっている、自分が生まれる前から続く物語の再現のひとつだったのかもしれない。


  母親の胎内の中では、その生物の進化の過程が再現されるという。

  言葉を獲得してから記憶している経験が、自分の全てだと思うのは、思い上がりだ。

  生きていることが理不尽で苦しくて、悲しいことの連続だとしても、それを生き抜いた、生きることを諦めなかった人達のおかげで、今の私がある。


  あの子供から大人になる間、思春期。

  あれは、夢と現実の間だったのかもしれない。

  それは、想像と現実が曖昧だった幼児期から、現実に生きる大人との間。


  戦争はある意味、正義の押し付け合いだと思っているのだが(だからこそ、享楽になりえる?"夢"の将校の話。幽霊として出てきた元部下たちが、将校の命令にまっすぐに従い、一糸乱れぬ行進をする場面を、戦争を美化してはいけないと知りつつ、不覚にもひどく美しいと感じてしまった。人には嫌悪しつつもどこかで、誰かや何かを無条件に崇拝したい欲があるのだと思える)、本来、科学者も哲学者も芸術家(あるいは、政治家ですら)も、人類にとって普遍的なものを探し続ける表現者であるのかもしれない。


  昨今の個人主義から全体主義への流れ。

  そもそも個人も全体も、主義ではなく、時と場合によってどちらにもなる。ただ、"そうである"だけなのだろう。

  でも、その全体主義は、ヒエラルキー構造ではなく、曼荼羅のイメージだ。