贅沢とは | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。

 
 毎日、仕事を一緒にしている都会から来た娘と同じぐらいの彼女は、私にとってもうすでに、仕事仲間というよりも、友達だった。

  そう感じるのは私が先輩面しないからとか、若い子に嫌われないように媚びを売っているとかではなく、彼女自身の包容力によるものだと感じる。

  彼女は、ひとつの仕事を続けられないけれど、その分、様々な経験をしていた。
  セレブリティーのような生活も、無職の中のお金がない生活も、夜の界隈のグレーゾーンの生活も知っている。

  その経験が、人に対する偏見を取り除いて、どんな人でも一旦受け止める、という度量の大きさに繋がっているのかもしれない。

  それでも彼女は、先日帰省した時に会った友人の些細な言葉に傷付いたと言っていた。
  とても仲良しだったその友人がお金持ちになっていて、自分の指輪は旦那に買ってもらったティファニーのなんちゃらなんだけど、あなたのその指輪はどこの?と聞かれて、答えられなかったと。
  おもちゃじゃないけれど、ティファニーほど高くない。でもそれは、今の彼氏が今の精一杯のお金で買ってくれたとても大切なものだ。
  なのに、一瞬でも彼女のティファニーが羨ましいと思ってしまったこともそうだけど、彼女がそんなふうに私を見下すような態度を取るようになったのが、悲しかったのだそうだ。


  私には、アクセサリーに興味がなく、ティファニーの価値がまったくわからないので、羨ましいとは思わないが、欲しいものを欲しい時に買えるのは、羨ましいとは思う。


  一方で、辛い思いをして山登りをして、頂上で一息ついたときに飲む冷たい水や梅のおにぎりが、この上なく美味しく思えることの贅沢さを知っていた。



  また、お金持ちの彼氏と暮らして、不自由のない贅沢な暮らしに戻りたいと思う?と彼女に聞いてみた。


  田舎に来て、正直、友達と比べることがなくなって、楽になった。

  彼氏とふらっと出かけて、少しおしゃれなカフェで美味しいコーヒーを飲んだり、職場でこうやってくだらない話で笑い合えることが、幸せだなと思ったりします。と彼女は答える。



  じゃあそれが、あなたの幸せの価値なんじゃん?

  大勢から羨ましがられる幸せか、自分だけが心からホッとできる場所を選んだことが幸せなのか。

  もう本当はわかってるんじゃないのかなあ。



  その子はその子で、目まぐるしく変わる刺激的な日常で、人よりも自分は物質的に恵まれていることに幸せを感じているなら、それでいい。

  彼女は彼女で、代わり映えしない日常の中でも、なんかクスッと笑えるような出来事を見つけられる感性がある。


  その子が私ってすごいでしょ?とマウント取ってきたことに多少心が揺らいだとしても、本当に自分にとって贅沢なことはなんなのか、もう彼女はきっと知っている。



  我が家の畑には、いろんなトマトが実り出した。

  去年の種から勝手に生えた、植えていないグリーンドクターも愛知ファーストも実り出した。


  それぞれに個性的な味と食感があり、全然飽きない。


  好きなもの、事柄の違いが多様性を生む。

  皆が違うから、自分は自分だと認識できた。


  自分が自分でしかないこと。

  それを感じられることが、本当の贅沢なんじゃないか。

  大勢が羨ましがるものが、本当に自分の求めているものなのかな。

  幸せの本当の価値は、きっと、そこにある。