太陽と山 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  子が離れたと思ったら、今度は親の面倒だよ。と巷で聞いていたことは本当で、私も毎日のように親に呼び出され、毎回同じ話を聞いている。


  自分の親になら、それ何回も聞いた。と言えるが、義理の親には遠慮があり、私は毎回、初めて聞いたかのような反応を示すのだった。


  どんどん思い通りにならなくなっていく自分の体が不安なのだろう。

  季節の変わり目のたびに風邪を引くのだが、最近は抗生物質を出してくれないから治らないと言い、私は風邪を治すのは抗生物質ではなく、自分の免疫力のようなものだと思うというのだが、全然、聞く耳を持たない。


  まあ実際、私も体の中を覗いて、風邪がどうやって治るのか、薬がどのように作用するのか、免疫とは言ってもその過程はどうなっているのか、この目で見たことがないから、自分の考えが本当に正しいのかはわからない。


  自分がもっと歳を取って、自分の体が弱くなったとき、そのことばかりを気にして、人の話になんて耳を傾けられなくならないとも限らない。


  そうなんだ。そうだよね。と相槌を打つだけで、自分は誰かに心配されている、自分の不安が少しだけ和らぐような気がすると言うのなら、私の余った時間をほんの少しだけ、その人の言葉に耳を傾けることに費やすのも悪くない。

  未来の自分がそこにいる。と思うのなら、尚更だった。


  それでも、自分と同年代の友達と遊んだり、話をするのが、一番楽であり、楽しくもある。

  自分と価値観が似ている人なら、尚更だ。


  そして、最近は、自分の子供や孫と言ってもいいくらいの歳の若者や幼児と接する機会が多くなった。

  それが、ものすごく面白く、そして新たな自分に気付くきっかけになっている。


  最近の若者は。と昔は言われてきて、今は自分が最近の若い人はね、と言ってしまうこともよくある。


  だけど、それぞれの年代特有の価値観にカテゴリー分けして、自分がその人を決めつけてしまうことも、一人と向き合って、心を割って話してみると、自分とはどこが違うのか、そして自分が正しいと思ってきたことは、一体どこから来ているのかと考えるきっかけになるのである。


  (私が最近出会う)若い子のいいところは、経験が浅い分、思考に柔軟性があるところだ。


  いわゆるZ世帯は、生まれたときからデジタルネイティブであるから、様々な価値観があることを自然に受け入れ、いい意味で、他人に対して適度な距離を測ろうとし、自分のことも俯瞰的に見ようとする。


  世の中の常識とされるものを常に疑い、相手の感情に振り回されず、自分の主張はしっかりと伝える術に長けていた。


  私は正直、長年染み付いた感覚から逃れられず、瞬間的に受け入れないと感じた場面で、つい否定的な反応を示そうとする。


  すると彼女たちは私が言葉にする前のほんの一瞬のそれすらも見抜き、それ以上、何も言わなくなるから、私は正直に伝えるしかなかった。


  私は年を取るほどに自分が今まで信じてきたことを覆されるような事柄に対して、素直に受け入れることがどんどん難しくなっていると感じる。でも、それでもあなたと分かり合いたいし、より良い関係を築いて行きたいから、思ったことは私にどんな反応をされても、勇気を持って伝え続けて欲しい、と。


  もう年が上だからとか、経験があるから、立場が上だからというだけで、若い子に押し付けられることは何もなかった。


 何度でも、自分をまっさらにして、根本から物事を考えられるかを彼女たちと向き合う度に試されているような気すらする。

 

  先へゆく年老いた方を見て、自分の未来を予測し、自分を追いかけてくるような若者を振り返って、過去を反省したりした。


  誰のことも、私にはコントロールできず、ただ自分が考えることを伝え、それを受け入れるも受け入れないも、相手の方に自由があるのだとしか、私にはわからない。




  夕暮れの空を見渡すと、真ん丸が三角の影に落ちていくところだった。


  太陽は丸く、山は三角に近い。

  それだけは、誰もが共通して認識する事柄だろうかと、ぼんやり考える。

  丸という形があり、太陽はそれに当てはまる。

  三角という形があり、山はそれに当てはまる。

  

  絶対的なもの、普遍的なものを人はいろんな方面から、ずっと探し続けているのに、それでも人は比較しなければ物事を認識できないという矛盾をいつも考える。


  三角は、それだけでは三角にならず、丸はそれだけだけでは、丸くはない。


  だから、私以外の存在がそこにある。それこそが、私を私たらしめる。


  太陽と山を見る度に、そのことを思い出したいと思うのだった。