冬の名残(春トレッキング 知床) | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。


  昨日は遠く西へ、札幌まで足を伸ばし、桜が咲き始めていたことに驚いた。
  
  今日は、それから思いっきり東の果てへ行く。
  冬の名残りが色濃く、一日の寒暖差が激しい。

↑オロンコ岩

  知床は、相変わらず、美しい。

  半島の中央を真っ直ぐに横切る山々の白と、麓の緑とのコントラスト。


  あの一番高い山の頂上に立つまでの苦しみや辿り着いた時の達成感を同時に思い出して複雑な気持ちにもなる。


  昨日、札幌に引っ越した叔母が、私、山が大嫌いだから、今の暮らしが楽しくて仕方がないの。と言っていた。



  西へ行くほどに街と街との境目がなくなり、建物の合間を縫うようにして車を走らせていると、登山とは違う種類の息苦しさに襲われる私は、その気持ちにさっぱり共感できないのだった。



 山の麓にひっそりと人の暮らしがある。



 羆に怯えながら山を歩く。

 自然の本来の営みの色濃さが、恐ろしくあればあるほど、生きてることそのものが奇跡みたいだと感じられる瞬間が好きだ。


↑ゴジラ岩

  まるで初夏のような陽気は午後になると一転する。



  分厚い雲が山から押し寄せてきて、みぞれ混じりの雨を降らせた。


↑知床五湖木道

  身体が冷えないように小走りで木道を渡る。



  冬なのか、春なのか、秋なのか、よくわからない季節感の中で、光や影や色が作り出すこの不思議な美しさが、人の手に寄らないことに何故か安心するのだ。



  まだ観光客のまばらな時期だ。

  人はあまりいない。

  


  観光資源としての価値が高まることは、いい側面も悪い側面も同時に備えているのだろう。

  

  手付かずの自然の価値が高まれば、自然は守られることにもなる。しかし、地元の人達は自然と共に生きていたその恩恵を受けられなくもなる。



  価値が高まるほどに、まるで、偶像化された神様を崇めるみたいに自然はもっと人から遠くなるのだろう。


  あの美しい山に、一体いつまで、登れるのやら。