良心と情熱 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

 彼とは、10数年前に2年ほど一緒に働いた。

 その頃はまだ職場も今よりも小規模で、職員も数人しかいなく、そしてその頃の上司は、情が厚く、思いやりがあり、しかし奇想天外なアイディアを持った素敵な人だった。

 

  その人の元で職員は朗らかに、子供たちはのびのびと毎日を過ごしていた。


  しかしその楽しく平穏な日々にヒビが入り始めたのは、そのもっと上の上司の(今思えば)嫉妬が原因だったのだと思う。そのもっと上の上司のところは、まるで軍隊のようだと私は感じていた。たまに用事で伺うと、そこの職員はろくに挨拶もせず、目も合わせない。そして、みんながその上司の機嫌を窺うようにして、なんだかビクビクとしていながらも、よそ者には冷たい態度を取る。子供たちには笑顔がなく、しかし大人の呼び掛けには従順だった。


  しかし私たちのところは、みんな時間に縛られず、その日その日、思いついたままに過ごしていた。天気が良ければ外でご飯を食べ、遊びに夢中になってしまったらお昼寝は少し遅くなる。

  小さい子が泣いたら、職員はすぐに抱きしめたし、抱っこをせがむ子には惜しみなく抱っこをしてその子が満足するまでそのままでいた。


  そのもっと上の上司にしたら、そのやり方は子供たちを甘やかすだけだ。先に集団生活をしっかり身につけさせて、規律良い生活習慣をつけなければならないとし、私たちの上司は違う場所へ転勤させられた。


  それから退職する人が続出する。その上司も結局は辞めた…というか、半ばいじめのような感じで辞めざるを得なかった。

  

  そんな中で彼も、移動先で男だというだけで、彼にどう考えても向いていない部署を任せられ、とうとう鬱状態になり、退職してしまった。


  本当に何年かぶりにその頃のメンバーに招集をかけたのは彼だった。もうそれぞれがバラバラの職場になり、連絡し合うことはほぼなかった。


 彼は、とても優しい子なのだが、不器用だ。

 他の職員の彼のイメージは、優柔不断で仕事が出来ない、頼りがいのない人だった。


  しかし私は何年も入れ替わる職員たちを見てきたが、彼ほど良心的で純粋な人はいないと思う。

  そして子供が心底好きだ。

  いつも、可愛くて可愛くて仕方がない、というふうに子供たちのやることなすことを温かく見守っていた。


  彼は退職してから、その頃とは全然関係ない職についていた。

  しかし、給料はすこぶる安い、こんなことを言っては差別的ですが、いわゆる底辺というやつです。と彼は言った。

  それから今の職場で起きた何年かのことを彼は集まった私たちにゆっくりと話し始めた。あの頃と同じ、まとまりがなく、初めから順を追って話す、回りくどい、でも、丁寧な優しい話し方で。


  彼はその仕事のことがまったくわからず、始めは随分と虐められたという。ちょっとのミスも許されず、失敗したら蹴られ、殴られる。罵倒や侮辱は当たり前で、最初はその頃の仕事を辞めたことを後悔したし、そしてその頃の職場の人達がいかに教養があり、常識的だったかを思い知らされたという。

  けれども親に反対されても辞めてしまった以上、自分はここで頑張らなくてはと、キツくても我慢して働いていたという。しかし、そうしているうちに周りが自分のことを認めてくれるようになり、しかも今では可愛がってさえくれるという。給料は安いが、時間はあり、その空いた時間で趣味が高じてプライベートでサークルも立ち上げたという。

 

  そしてその職場に出入りしていた女の人に一目惚れをし、ある日、彼女を追いかけて、咄嗟に告白したという。向こうは自分の名前も知らない。しかも、よく聞けばバツイチで子供が三人いるという。そしてその中の一人は重度の障害を持っている。

  けれども自分には関係がなかった。いつも振る舞いが素敵だと思っていた。気が付いたら追いかけていた。好きです。連絡先を教えてください。と言っていた、と。

 

  それから彼女には何度も断られが、それでも何度も電話して、ついに付き合うことを了承してもらった。自分は結婚したいが、彼女は子供のこともお金のこともあって、結婚はできない。という。確かに自分にも彼女の家族を養えるような力はない。でもそれでも自分は、結婚したいんだ、と。


  私はその話を聞いて、泣きそうになった。  

  彼女なんてずっといなかった。退職する直前は死んだような目をしていて、今にも本当に死ぬんじゃやいか?とすら思うほど顔に表情がなかった彼が、今は、このメンバーで一緒に働いていたあの頃のようなキラキラした大きな目で、真っ直ぐに前を見据えている。


  実はあとで知ったのだが、その時のメンバーの一人(私の友人でもある)に異動前にラブレターらしきものを出していたのだ。しかし彼女は、結婚していた。手紙には、いつもあなたがいたから僕は職場が楽しかったです。優しくしてくれてありがとうございました。と書かれていた、と。なんだよ、そんなの私たちにはくれなかったのに!と、みんなで怒ったのだが、でもその真っ直ぐさは、私たちの心を打った。


  ずっと本当は辛かった時もみなさんに話を聞いて欲しかったんです。でも、今話すと頑張れなさそうだったから、だから今はもう大丈夫だから、こうやって集まってもらいました。彼女とはどうなるかわからないけれど、また話を聞いてもらえますか?と彼は最後に言った。


  息子がやっと就職先を見つけて、そのための先の予定を話してきた。そして、今やっているいくつかのバイトのひとつは辞めて、その理由がブラック過ぎるから、と言った。


  最初から怪しげだとは思ってたけど、中に入ると働いている人もひどかった。俺なんて、わからないことを聞きまくると障害者め!と罵れることもあった。そんで、他も忙しくなってきたから辞めた、と。


  息子は、底辺と呼ばれる場所がいかなるものなのかを様々なバイトを通して、経験したようだった。委託された職場の他に職がない人たちの教養のなさ、マウントの取り合い、いじめ。ブチ切れて辞めたこともあれば、中にはとても褒められて、ずっとここにいてくれとお願いされる場所もあった。


  昔、息子の担任は言った。中途半端な学校ではなく、できるだけ偏差値の高い学校に行かせなさい。中途半端なところが一番悪い。人がクズだから。と言っていたことを思い出す。


  しかし息子の行った高校は、近所の偏差値がすこぶる低い学校であったが、息子はみんなアホだと言いながら、今でもその同級生とは仲がいい。


  ある日、息子から聞いた話。

  その同級生の一人の親がろくでもなく、息子の給料のほとんどを無心するという。しかしその事情を知っている就職組の友人たちは、その子に一人70万近くもお金を渡しているというのだ。いやいや、それいいの?と私はびっくりしたが、息子は、あいつら、体力的にきつくて、休みないけど金はいい仕事してる。あいつらはああいうやつらなんだ。返せとか言わないで、いつも一緒に遊んでるよ。と息子がどこか誇らしげな顔をして話していたのが、印象深い。


  息子の中学の同級生の女の子に会った時、正月に帰ってこなかった話をして、そのときみんなで集まったと聞いた。


  ああ。◯◯くん(息子)は、彼女とラブラブだしね。と言われて驚いた。

  私の見ていないインスタに彼女のおかしな顔の写真ばかり上げているかららしかった。


  彼女と離れたくない。だからそのために就職したい。学校をやめた頃、息子はそう言っていて、一瞬、それどころじゃない!と思いもしたが、私はそれはそれでとても素敵だ、とそのときは言ったのだが。


  辛かったこと、悲しかったことだけが、人を成長させるんだろうか。


  どんなことがあっても、人としての良心、そして情熱だけは忘れてくれるなよ、と告げる。それは、自分に対して、言っている言葉でもあった。