そういやしばらく、アキコ先生のこと忘れてたわ。
アキコ先生ってば、筆(?)が早いから、次から次へと新作出すもんで、最近の作品はめっきりご無沙汰でした。
私が東村アキコ先生に出会ったのは(あ、作品にね)、先生の初めての連載漫画、きせかえユカちゃんでしたね。
笑いのセンスと人物の洞察力に、このお方は、めちゃくちゃ天才だ✨️
と、毎月連載を楽しみにしておりました。
自身の子供との日常を描いた"ママはテンパリスト"で人気に火がつき、"海月姫"の映画化、"東京タラレバ娘"のドラマ化で、あれよと有名になってしまいましたが、やっぱりアキコ先生の真骨頂は、初期の作品にあるのです。
アキコ先生の一風変わったお父さんを軸にストーリーが展開するが"ひまわりっ"は、コアなアキコ先生ファンにはたまらない作品である。
ご本人もよく分からないまま書いていたと、どこかでおっしゃっていましたが、まだ大衆に忖度しない勢いのままで描いている感じが、本当のアキコ先生らしさが出ていて、傑作である。
その"ひまわりっ"の焼き直し?(アキコ先生!失礼!)かと思われる新作が出ていて、久しぶりに購入した。
この作品は、アキコ先生の作品の入門編としては、おすすめである。
アキコ先生の故郷である宮崎県を舞台にした自伝的漫画だ。
何しろ、私と年代が一緒であるので、その時代背景における社会の雰囲気とか、その頃の価値観が懐かしい。
まだインターネットのない時代。
交換日記にコックリさん、怪しげな古いトンネル探索、餅拾い(棟上げ式?)など、その頃夢中になった遊びを通して、子供たちは大人の理不尽さや社会の外にあるよくわからない事柄を体験していたのだ。
アキコ先生の類まれなる洞察力と感性は、理不尽なお父さんと個性豊かな友達たちによって育まれたのだなあと感慨深い。
どの子とも、ほどよい距離感で接する。
恋や占いに夢中になる女の子とも、ゲームやオカルトに夢中なオタクな子とも、冒険心旺盛な男子とも満遍なく遊ぶ。
この頃の大人は、子供にとってはわからずやである。
体罰もあったし、クラスで危険な遊びが流行れば直ぐに禁止された。
大人に絶望しながら、それでも大人がいないと生きていけないことに悶々とし続けるのである。
しかし今よりも情報が少ない分、自分たちで解決する力にも長けていたんじゃないかと思う。
解決する。というよりも、解決できないことばかりだと気付かされる。と表現した方が適切だろうか。
なんとなく、なあなあで済まされている事柄の多さで、今よりもずっと物事に対して寛大でもあったのだ。
今は調べればすぐに答えの出ることが、逆に体感を奪っている。
便利さとか、効率の良さが、人と人の距離を遠ざけてしまう。
宮台さんを知ったのはこの動画だった。
この言葉にグッ!と掴まれた。
ー(今は)メタバースとユニバースの綱引き。
マス(大衆)は、メタバースに飲み込まれていく。
そんなの良くない!と言ったところで無理。だって、もう飲み込まれている。
そうすると結局、数少ないかもしれないけれど、メタバースの外で自分たちの生きがいとか、実存的本質を追求するような人間たちを少しでも残す。
だってそうしないと、中国の権威主義、あるいは加速主義という新しい権威主義者にしろ、彼らが気候変動に対応すると思いますか?
例えば極端な話、人口撲滅作戦っていうのを遂行する可能性もあるよ?
気候変動を利用して、様々な自然災害を放置して、人口が減る。
で、ディープエコロジストが言っているように、人類が生き残れる…長く生き残れる水準である6億人程度まで減らすなんていう計画を立てたりする可能性もあるのに、なぜ、人がそういう権威に任せることができるんだろう。僕はいやだね。ー
確かにコロナ禍から、世間の仕組みは一気に、大きく変わった。
職場には監視カメラが導入され、出席、出勤や連絡網はスマホになった。
熊が頻繁に出没するということで、隣街には至る所に監視カメラが付けられた。
マイナンバー制度が迅速に推し進められ、様々な病気の種類のワクチンが続々と登場している。
監視社会がやってくる。というと、陰謀論的思考だと一蹴されそうだが、もうシステムは出来上がっているのだ。
大麻報道もそうだろう。
宮台さんの言う通り、大衆は、ドラッグとメタバースの世界に閉じ込めておけばいい。政治は俺たちがやる。なんて、世界はもうすぐそこにまでやってきているのだ。
実存的本質を残す。
それは、感情を取り戻すということだ。
怒りも不安も恐怖も悲しみがなければ、楽しさや喜びや嬉しさは、どうやって感じられるというのだろう。
話は逸れたが、アキコ先生の子供時代の漫画には、実存的本質があったよき時代のことが描かれている。
それは、変なオヤジも、うるさいババアも、金持ちもオタクも、イケメンもブサイクも、共存している社会だ。