渾沌 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  連休と遅ればせながら取れた夏休みの遠出のついで。初日はやっぱり山に登る。本当に行きたかった山は、生憎、明日から連日雨模様らしい。



  もう今年になって三度目の山だし、先週の山に比べたら三分の一程度の往復時間で、シーズン始めにはあんなにも地獄に感じた道も、もはやキツめの散歩の趣。いつもなら重いからと車に残してきた一眼をザックに装着す、本日、私めは、アルピニストではなく、フォトグラファーなり。


 前日まで、激しい雨が降ったのであろう、樹林帯の道はぬかるむ、が、しかし。ほんの三週間前には見られなかった様々な種類のキノコたちが、朽ちた木々の根元から顔を出している。追いついた前を歩いていたおばさまたちが、ナイフ片手にキノコを狩っておるが、ここには松茸が生えます。けれども盗らないでください。という看板を前に見たような、まあ。おばあさま…なようなおばさまにとっては、国立公園も何も、そんな文化が根付く前から、ここは庭のようなもんなんだろう、師匠が、子供の頃。知床の裾野で高山植物をたんぽぽを摘む、みたいな勢いで採っていたあの感覚が染み付いている。師匠もさすがに高山植物は盗らないが、今でも山菜は、採っているんですもの。



  師匠といえば、奥さんが最近大きな街の病院に言ったんだけど、すっかり道がわからなくなっていて、いよいよ、ボケ始めてきたんじゃないかと言っていたが、山や川の名前は全部正確に覚えていて、キノコの生える場所も釣りのポイントも、私が何度も忘れるのに絶対覚えているんだから、ボケた、というより、いよいよ師匠は、野生の感覚だけを研ぎ澄ますことに残りの命を使うことにしたんだ。元々、バタイユのいう、連続性=野生動物とか、神とか、カオスとか。師匠はその彼岸にいたようなものだ、大昔。動物を殺す仕事をしていた人たちが、俗世の人達から差別されていた体で実は、神聖な存在として崇められていた側面があったように、師匠は初めから、俗世の物差しでは、測り切れない生き物なのである。



  最近、思い出して、モブノリオの介護入門を読んでいる。昔、すこぶる暇だった時期に芥川賞を取った作品を読みまくっていたが、他の作品の内容はほぼ忘れているのに、これだけが強烈に記憶に残っている。

  音楽で食べてく才能がないことに気付いてうちひがれた、大麻狂いのニートの三十手前の兄ちゃんが、ばあちゃんの介護をするだけの話なのだが、そのたったそれだけの、けれども、オムツを取り替えたり、食事や着替えを手伝ったりなど。しかしそれだけのことがどれだけ重労働でしかもそれが、永遠に終わりがないと思える作業。否。作業ではない。彼は、それを作業だとか、仕事だとか、そんなふうには思っていない。世の中が変だ、おかしい。そう思う自分が狂ってるというような話を一冊、丸々、それこそ、延々と。一軒家と思われる世界で、まるでそこにしか彼の世界はないみたいに不自由に思えるのに、なんで。彼こそは、すこぶる自由に思えるんだろう。

  自分の祖母の笑顔、泣き顔、そして時折、自分を残酷な言動に駆り立てる嫌味っぽい態度にすら。いろんな種類の感情に駆り立てられて、今、この目の前に広がる大自然というものが、ふと思い出される彼の文脈に広がっていた言葉の色彩の前に霞む。



  LSDとか、マジックマッシュルームがもたらすといわれる幻覚の世界。主人公の音作りの表現が秀逸だ。音は生きている、それは、ただ聴覚を刺激するだけのものではなく、振動だった。振動といっても、触覚というひとつの感覚に訴えるだけのものではない。それは、色、形、ある種のシステム、なのだろうか、考えてみれば。キノコは明らかにおかしい植物じゃないか。その繁殖方法も、色も姿も、たった一晩であっというまにあんなにデカくなる成長力も。そして、カロリー0のあの空っぽさでありながら、あらゆる毒やら栄養素やらを持っている。おまえは。結局、何でできてるんだよ。カオス。


  しかしこれは、本当に三回目の山なのか?こんなにも登りやすく、なのに、こんなにも怖かったっけ。

  たった一人、そして多少なりとも逞しくなったのであろう身体。脳内で繰り広げられる妄想、そして次々に変わる景色を堪能しつつ、火口が轟く音が聴こえる。頂上に差し掛かり、突然、強く吹き付けた風が、あっというまに自分を、この稜線の向こう側へ連れ去ってしまいそうだ、足が竦む。




  そうだ。あの三歳の頃からしばらく続いた夢遊病。私はあの頃。すでに死を意識する子供であったが、死が生を含むことを知っていた、いや。その事をただ、あの母親の苦しむ声を聴いていた産道。自身も同じように苦しかったのであろうあの暗き道中で、捨て去ることができなかっただけなんじゃないか。


  夜。ベッドにて。じいちゃんの隣で年寄り特有のかび臭いような饐えた匂いに包まれ、眠るに眠れなかった。じいちゃん、死ぬのかい?私よりも先に。そのことがただ悲しいとか怖いとかじゃなく、ひどく虚しかった子供の私は、意識を彼岸と現実の間に行き来させ、渾沌であった、と同時に。エゴに塗れた、大人の子供だったんだろう。