トマト畑の中心で愛を叫ぶ | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。



  種から育てたトマトは、グリーンドクターズという緑色のミニトマトと、愛知ファーストという大玉トマトだ。


  種から育てたから苗が沢山出来ため、必然的に収穫量も多い。

  特にグリーンドクターズが、不味かったらどうしようと不安だったのだが、すべての種類のトマトを職場で味見してもらったところ、一番人気だったのである。


  皮が薄く、糖度は高めだが、それに見合った程よい酸味がある。ゼリー状の部分はさほど多くないが、ないわけでもない。

  そして後味の中に、ほんの少しの旨味が残る。

  

  あまりの食べやすさに無意識に私も、ハウスの中でグリーンドクターズばかり摘み食いしてしまうほどだ。



  最近は、トマトも果物も糖度の高さばかり求められるが、結局はバランスなのだと思う。

  

  トマトは、トマトらしい青臭さと酸味があり、それを引き立てる程度の甘さがあるのが理想なのだと思う。


  師匠が、どこかの農家では家庭菜園のトマトを砂糖水で育てていて、それがすごく甘いんだ。と言って、自分も砂糖水をやろうとしていたが、必死に止めた。  

  師匠よ。私が求めるのは、そういうんじゃない。


  デザートとしてのフルーツの要素をトマトに求めちゃいないんだ。

  トマトはあくまでも、私の中ではサラダなのだ。

  数あるしょっぱい副菜(単に私がおかずに塩気を求める)の中の一服の清涼剤のような、ご飯が進むおかずの中で、一度、舌をリセットするような、もしくは、暑さの中で喉を潤す程度の程よい水分補給ができるもの、そういう位置づけであって欲しいのだ。




  そしてとうとう、大本命である女王様(愛知ファースト)が、赤くなった。

  実がなってから、どれだけ待っただろう。


  このでこぼことした形と、房のように実がなる様子にどこか懐かしさを感じる。


  そうだ。やっぱりこれが、昔、ばあちゃんが作っていたトマトだ。

  不揃いで、見た目がよくなく、青臭く、すごく甘くはないのだけれど、酸味があって、皮が薄くて、柔らかい。

   

  イタリアントマトみたいな真っ赤な、ともすればクセのある濃い旨みと甘みではなく、トマト初心者の当時の日本人が好んだのであろう、この主張の薄い桃色系トマト。


  バナナが最高級の果物であった頃。トマトがデザートみたいな扱いをされて、食卓に出され、その美味しそうな見た目と味のギャップに当時の子供たちの中に大量のトマト嫌いを生んだのであろう、そう!これが!これこそが、日本のトマト!


  そうか。女王様。

  あなたは、気高く近寄り難い女王ではなく、素朴で親しみやすい田舎娘だったんだね。



  ハウスの中でかぶりついた。

  薄い皮は差し込まれる歯に邪魔されず、ストレートに果汁がほとばしる。


  暑い中の畑作業の合間に食べたら、すこぶる美味しかったのであろう。


  うちのオカンが、トマト嫌いで、砂糖をかけて食卓に出されていたことを思い出して、グラニュー糖をかけてみた。


  うわお!めっちゃ、懐かしい!!


  そういえば、うちではグレープフルーツは、おやつの時間に半分にして、グラニュー糖をかけられ、グレープフルーツ用の先がギザギザしたスプーンを皿に添えられて出された。


  今では考えられないが、昔のグレープフルーツは、今よりも震えるほど酸っぱかったような気がしなくもない。


 舌を通して、昔が蘇ってくる。

 記憶は、脳の中にはないのかもしれない。


 いや。記憶は折りたたまれてしまわれている。


 それを呼び覚ますのは、五感なのだ。

  

  祖母が適当ながらも懸命に育て、母が自分が嫌いながらも食べやすいようにと砂糖をかけたこのファーストトマト。


  美味しかった記憶は、彼女たちの不器用な愛だった。