ランナーズハイ | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。


  昨日が物足りなかったので、今日は用事の帰りの通り道の山を一人で登ることにした。

  海を通る時は釣り道具、山側を通る時は登山道具。
  いつなんどき、釣りたくなるか、登りたくなるか分からない。
  なんたって、夏はひどく短いのだ。



  気温は31度。

  黙ってても汗が吹き出す。

  それでも去年よりも、暑さの中で登ることには慣れてきた。


  むしろ、全身に着ている服が絞れるほどに濡れないと登った気がしない。



  一人登山の悪いところは、ついついサボりがちになることだ。

  自分と同程度が、自分よりも体力のある人と登る方が気合いが入る。


  本当はキツいと感じる手前の速度で歩くのが良いのだが、もっと高い山を登るために普段のトレッキングのような山でも強度を上げて登らなければトレーニングにならない。



  風景を楽しむ余裕は作らない。 

  本当に登りたい山に登るための身体は、やっぱり山を登ることでしか作ることができない。


  スクワットも、ランジも、ジョギング(やらないけど)も、やらないよりはマシだが、フローリングやコンクリートの地面では、身体は思うように反応してくれない。



  昨日の夜に、友達と4時間もカラオケで歌ったのが、悪かったのか。

  いつもなら、休憩が必要ないのに三回も休憩してしまった。

  タイムは15分遅い。



  ランナーズハイ。という言葉がある。

  ランニングをはじめて、20分から30分経った頃に、突然ふと苦しさが快感に変わる感覚のことだ。

    

  登山にもたまにそれがやってくる。

  こういう低登山ではなく、もっと高くて、しかも後半に傾斜がきつくなる山の特に登りでそれは起こった。


  そういうときふと振り返ると一緒に登っている人たちがかなり下にいたりして焦る。


  だから一人で登るときにそれを経験したいと思うのだが、そのためにはもっと限界まで速度を上げなくてはならないのだが、一人だとメンタルをそこまで持っていけない。


  ついつい、辛いと思ったら速度を下げて、ナンバ歩き(左右の手足が同じ方向に出る歩き方)をしてしまう。


  しかしなんで、辛くなってくると歩幅が小さくなって、自然に手足が同じになるんだろう。

  

  わざと軍隊歩きを意識して、大股で駆け上がる。心拍数が上がって、意識が遠くなりそうだ。


  いでよ!βエンドルフィン!


  昨日の歌えば歌うほど、高い声がどんどん出るようになったときのように!



  毎回必ずすれ違うおばあちゃんが、今日も軽快な足取りで降りていき、あっというまに見えなくなる。


  いいな。ランナーズハイの虜なのか。


  死にそうになる手前でやってくるあの、奇跡のような快楽。


  山と私が溶け合うようなあの感覚。

  風景が美しいと思うのではなく、美しい風景に私がなっていくようなあのオーガズム!


  それをやっと味わえるようになった頃、冬がやってきてしまう。


  

  

  


  


  


  

  


  


  





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