トマトは、わき芽を適宜、取り除く。
花が咲いたら、トマトトーンを付ける。
トマトトーンはホルモン剤だが、やはり自然の受粉では実の成りが悪いらしく、仕方なくつける。
摘芯は、初冬まで収穫するために師匠は行わない。
主幹の枝を伸ばし、麻紐等を横に張り、途中から誘導する。ダメになった場合とか、挿し木のため、次の枝も残しておく。
トウガラシは、ポットに二本植えられて売っている。
白菜、ブロッコリなどの苗は三本であり、手で分けてから離して植える。
けれどもトウガラシは、そのまま二本で植える。
一本でもいいが、師匠の経験上、二本のままの方が実が多く成るという。
ナスは三本だけ残して、剪定する。
工程、肥料の種類、それぞれの水の適切な量、植え付けのタイミングも覚えきれない。
というよりも、自分の無知さに愕然とする。
なんとなく摘み取って食べていたものは、こんなにも手間がかかっていたのか!と自分の思慮の浅さを改めて反省するのだ。
芽吹くまでのあの時間の進みの遅さ、かと思えば本番が出てからの成長の早いこと!
花が咲いたときの安心感。
天候とのにらめっこ。
あの可愛らしく愛おしかった鳥たちが、巣作りや子育てのためにハウスに侵入し、今は敵視しそうになることへの罪悪感。
夕方になると鳥たちは、うるさいぐらいに鳴いている。
オオジシギのディスプレフライトの激しい急降下の羽音に、シマエナガの鳴き声が混じる。
縄張りを誇示しているのか、警戒の合図か、オス同士の戦いか。
何にしても、忙しそうなことには変わりない。
土に這いつくばって汗を流す私(てか、ほとんど師匠が(笑))と同様に、彼らも春から夏へ移り変わるこの時期の大変さと大切さを痛感していることだろう。
しかし師匠は、気が短いのに長い。
私がモタモタしていたり間違うとブチ切れそうになっているが、私の質問攻めには丁寧に答える。
去年は違うことを言ってた。とか私が生意気にも指摘すると、ああ。そうだったか。とすっとぼけたりもする。
いつも仕事終わってから手伝ってくれて悪いなとか言うけど、こっちは手伝っているつもりがなくて返事に戸惑うのだ。
だって、これは私にとっては遊びでしかない。
だからブチ切れられても、全然凹まない。
むしろ、私が覚えるまでボケるとか、死んでる暇とか、ないからね!と言い返すぐらいだ。

