背の高さまである笹薮を漕いで崖を降りると突然開けた場所に出る。
秘密の場所に来た。
いつもそう思う。
轟々と川の流れる音が生き物の気配を消す。
ということは、自分がいることも獣には気付かれにくいということだ。
深い笹薮に包まれ、抱かれるような安心感と同時に沸き起こる不安。
アイヌネギ採りも、そろそろ終盤である。
もう随分と葉っぱがおがり(伸びての意)、山菜は次のフェーズに移りつつある。
川はたびたび氾濫し、植物たちを押し流す。
去年とは違う新しい流れができていて、倒れた木の根には、石が絡みついている。
アイヌネギは、そこら中にあるけど、とりわけ木の根元や河岸が好きなように見えた。
柔らかい土とそこに広がった地衣類、苔類の絨毯が、彼らにとって居心地のよい場所であるのだろうか。
ナイフを動かしながら、この小さな風景についつい手を止めてしまう。
輝くような緑色、乱雑でありながら、どこか秩序めいて見える形。
互いが思い思いに生きようとすることで生まれてくる力が、こんなにも美しい庭園を築いている。
アイヌネギの根元を包むこの布のような繊維は、ナイフでは切り取れない。
平織りのように縦横互い違いに織られたような繊維は、伸縮性があり、裁ち切ることができないのだ。
あんなにも厳しい冬を越すことができるのは、この布のおかげなのだろう。
アイヌネギは、この布でより寒い場所へ生息地を伸ばし、様々な生存競争を乗り越えてきたんだろう。
人の手が届かない山の奥へ奥へと。
美し過ぎて、目眩がする。
それは、彼らの死を内包した生の営みを目の当たりにするからだ。
今日、家を出たときに、不法投棄監視中という旗が突然立っているのを見つけて、どうやら近所の人が、そこに空き缶を捨てる人がいるから、どこかに報告したのだろう。
捨てる人は知ってる。でも、家族がそれを見つけて拾っているのも知ってた。
だから、そこまで汚れてもいないのに、どうしてそこまでするんだろう。
なんだか悲しくなって、でもどうして、捨てることが悪いと思っているのに捨てるのかも、その家の状況を見てるとなんとなくわかる気もするのだった。
熊とは違う怖さが、人の社会にはある。
どんなに安全を求め続けても、そのために引き換えにするものが必ずある。
それは、生の実感であったり、思うことや感じることの自由なんだと思う。
熊は、フキが大好きだ。
しかも、食べる時に器用に皮を剥くらしい。
熊もフキの繊維が硬くて、食べにくいのか。
そういう小さな共通点を見つけると、途端に愛おしい生き物に思えてくるから、不思議だ。
分けてもらってできているのか。
自分は。あらゆる命は。
なのに、同じ種同士、疑うことを前提に生きていかなければならないとは、なんて苦しいことなのだろう。









