週末の夜間に降った雪は、ようやく根雪になりそうだった。
一層厳しさを増す寒さと裏腹に、真っ白になった大地が太陽の光を反射することで、その恩恵を全ての命に広く分け与えてくれているような暖かさをもたらす。
いよいよ野生動物たちにとって、厳しい季節になってきた。
職場の窓の外にある木の枝に脂身をぶら下げると、次々と鳥たちがやってきた。
ジュルルルル!とあの小さな身体に似つかわない大声を上げて、まるで特攻隊のように攻めてきたのは、シマエナガだった。
その軍隊に紛れるように、ついてきたように。あるいは、餌場の縄張りを取られまいとそばで見守っていたらしきカラ類が、見た目の可愛らしさからは想像できない獰猛さを持つシマエナガに、少数で果敢に追い払おうとしている。
冬の初めには10羽以上は来ていたシマエナガの群れは、去年、春が近くなると5羽にまで減っていた。
群れが分散しただけなのか。それとも厳しい冬を乗り越えられなかった個体がたくさん出てしまったのか。
しかし野生下では、冬が命を選別を行うのは間違いがないだろう。
限られた食材を互いに奪い合うようにしているこの場所を見ているだけでも、弱いものは強そうなものに追いやられてしまっているのだから。
エゾリスくんがどこからか、颯爽と現れると、小鳥たちはいっせいに飛び去っていく。
木々の間を長く大きなしっぽで上手くバランスを取りながら、走り抜けていく様子は美しい。
脊椎動物にはみな、尻尾の名残りがあるという。
クジラの胎児が、母の体内における成長過程で、かつて陸にいた証拠となる後ろ足を一度発生させながらも、やがて消失するように、人間の胎児も一度しっぽを発生させ、やがて消えていくという。
外で生きていくのに不必要になったものをなぜ、胎児の中で今一度、発生させるのか。
そのことが、不思議で仕方がなかった。
意識の表層に上らない記憶が、胚の中に残っている。
それは、もしかしたら、太古から繰り返してきた気候変動に生き残るための個々の種の細胞の最後の可能性なのかもしれない。
クジラが陸を追われたように今度は海から魚がほとんどいなくなって絶滅しそうになったら。
脚の記憶をあえて、残しておくことで、また陸に上がれるかもしれない。
地上を追いやられた人間は、しっぽを再生させて、樹上で生活するようになるかもしれない。
