雪の日 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  薄暗い昼間は、朝と夜の間がずっと続くみたいで瞼が重い。


  外に出ると雪の匂いがする。


  感知しているのは、嗅覚の機能だけではないのだろう。

  外気に直接触れることができる敏感な鼻の中の粘膜。

  それは、皮膚と内臓の中間地点みたいなものだ。


  雨のような辺りの埃を含んだ湿り気のある匂いではなく、乾いた冷たい空気がピリピリと鼻の中をまさぐるような感じ。


  明日から突然、最高気温が真冬並みになる予報だ。

  それを告げるようなまだ形の定まらない雪の結晶が、黒い車のボディに舞い降りてきた。


  雨と雪の間にある結晶が、バラバラな形の互いの手を取り合うようにして、繋がり合っている。


 

  地上のわずかな温かさに自身の形を保てない雪は、物質に触れた途端に儚く姿を消してしまう。


  ひどく寒い上空で、バラバラになっている水分子が、なにかのきっかけで突然ぶつかると、そのショックで凍り、六角柱の形になって一気に成長する。


  小さな雪の結晶は、"セカイ"のありようで、自身を様々な形に変えていく。


  雪の結晶の形の違いは、彼らが地上に舞い降りるまでの物語だ。



  ピントを合わせる間もなく、雪は溶けてしまう。

  その一瞬の形は、放射状に枝を広げる樹木にも、ぴー様の羽根の根元にある肌に近い部分の羽毛にも似ている。


  この一瞬を留め置きたい欲望に突き動かされている命だ。

  

  けれども流れが、温かな手のひらの中で一瞬で形をなくしてしまう。


  そうしたい。けれどもできない。

  その繰り返しの中にいるから、物語になるんだよ。


  それでも雪は水になり、地中に注がれ、川になり、海になり、雲になり、そしてまた雨や雪になる。

 

  雪の結晶は、六角形で繋がり合っている。

  それは永遠の形みたいだ。

  永遠は、瞬間の永続性ではなく、自分の外側にある循環のことだろうか。


  自分を意識しなくなってはじめて、永遠がどこにあるのかを知るのかな。

  その気付きの瞬間に死は、終わりではなく、生の一部になるのだろう。


  確かに自然は私の師だ。