しばらく来ないうちに、雪はすっかり姿を消していて、白鳥はすでに渡りを終えたあとだった。
白と緑の季節の狭間で、景色は混沌とした色をしている。
季節が移り変わるのを後押してしているのは、食べる行為と共に排出を繰り返す、あらゆる命の営みだ。
カモのオスたちは普段、自分が生活する場所で目立たないような色をまとっているのに、繁殖の時期になるとびっくりするぐらい派手な色になる。
ワシたちにいつ狙われるともわからない。それでも彼らは群れになり、まるでイワシの大群のようにみんなが大きなひとつにであるように意識の共有をしていた。
だけど、繁殖の時期だけは、そんな危険を厭わない。
生き残ることよりも、新しく繋いでいく方を選ぶ。
その潔さや覚悟のようなものが、あの美しい緑や赤をより一層、美しく際立たせていた。
人は"私"というものに固執する。
"私"を意識した途端に、世界は終わりになっていく。
あの眠りがもたらす無が、永遠に続いていく恐怖は、自我の喪失そのものだった。
だから一部の幼い子供たちは、お昼寝の時間になると泣きじゃくるのだろう。
少なくとも自分はそうだった。
意識が薄くなっていく瞬間に自分が消え去っていまうような不安が、芽生え始めた自我の喪失に重なるからだった。
私たちは賢くなるほどに、一体何を得てきたというのだろう。
生き延びて、物質的な豊かさと引き換えに失ってしまったものの多さがあることに不意に虚しさが募る。
残酷な風景の中に身を置いていると、生きていることのせつなさや儚さに胸がいつも締め付けられた。
それなのになぜ。
木々や花や鳥や鹿はこんなにも美しく見えるのだろう。
それはいつか消えるから。
でも、自分が消えてしまっても、この循環が続いていくことに希望を見い出すからじゃないのか。
私はいつか、消えてしまう。
でも、私が見た景色はこのまま続いて行って欲しい。
私が見ている世界は、私が消えれば終わるだろうか。
いや。私が見ている世界は、やがて私を取り込んで存続していくに違いない。
私の五感は確実に私の他にある世界に呼応して、存在しているからだった。
そう願う瞬間に、永遠がある気がしてくるのだった。
星野道夫bot@bluesky2313
情報がきわめて少ない世界がもつ豊かさを少しずつ取り戻してきます。それはひとつの力というか、ぼくたちが忘れてしまった想像力のようなものです。/星野道夫
2022年04月13日 11:37



