牡丹雪がみぞれに変わり、やがて小雨になった。
林道に積もった雪は早春に緩み、足元を地面に深く沈ませる。
そこは、小さな川だった。
数年前に大量の人が訪れ、ワカサギは全て釣り尽くされたと思っていたと師匠は言った。
しかし二三日前に気まぐれに竿を垂らすと、大量に釣れたという。
氷の厚さは30cm以上ありそうだ。
その川底スレスレにワカサギたちは、集まっている。
海からやってくる潮の満ち干きが、その狭い川の水を揺らして、魚たちはその流れに従順のようだ。
少し釣れれば、すぐに竿は静かになる。
その合間に聞き慣れない鳥の声がして、振り返ると大きなカラスだった。
会いたかったワタリガラスだろうか。
濁ったようなくぐっもったような声が、シジュウカラやコゲラの鳴き声に混じり、低く遠く響く。
川の氷は徐々に凍らない。
小さな氷がひとたびできれば、少しの不純物と揺らぎをきっかけにして、一気に凍りつくという。
餌の少ない冬場だ。
いつもお腹をすかせて、血眼になって食べ物を探す鳥たちから、小魚たちは川の氷に守られて、そっと新しい命をお腹の中に宿していた。
その水の小さな揺らぎのきっかけになるのは、潮の満ち干きだけでなく、魚たちのヒレであるかもしれない。
はじまりを持たない循環が、実は自然そのものかもしれない。
自然とは揺らぎだ。
自発的に起こると錯覚している意思すら、意識という材料がなければ発生しない。
意識のはじまりは肉体ありきであり、肉体を構成するものが、物質であり元素であり、その元素の元は揺らぎであり、その揺らぎを起こすのは、どこからかくる意思という意識…という無限ループ。
ふと、そんなことを思ったりする。
ワカサギを洋風の南蛮漬けに調理してみた。
ワカサギはオリーブオイルで揚げ焼きにする。
レモン汁、砂糖、醤油、昆布だし、水、塩コショウで作った調味液に野菜と共に漬け込む。
仕上げにオリーブオイル、ハバネロソース、ローズマリーをふりかけた。



