頭上には、ケンケンと甲高い鳴き声を上げて、オオワシとオジロワシが飛び回る。
氷上のキャンバスを風の絵筆が撫でる。
孤高な生き物たちの足跡が、その美しい意匠の上を謙虚になぞっていた。
湖の名前の由来は、アイヌ語で「チ・オ・プシ・イ」といい、(我ら、自ら、破る、もの)という意味だという。
アイヌの人々が、増水時に湖と海が繋がる様子を"自らを破る"という表現をしたところに、彼らが自然は自分たち自身であり、自分たち常にと一体だと考えてきた歴史を窺わせる。
ワカサギは、ポツンポツンと、コンスタントに釣れた。
人がいないから、ほとんど釣れないのだろうと思っていたのだが、これだけ釣れれば充分だ。
去年も一度だけ来たが、まったく同じ時間で、同じぐらいの釣果だった。
針を落とし、しばらく待っていると、一匹だけかかる。
その間隔が常に一定であり、釣れ過ぎるということも、釣れなさ過ぎるということもなかった。
まるで、湖を見下ろしているお地蔵さんが、私のその時間を退屈しない程度に楽しませ、しかし、全部の魚を取られないぐらいの適量の魚を分け与えてくれているみたいに思えた。
小指ほどのサイズのワカサギが、ピチピチと手のひらの上で跳ねる。
チカの銀色の鱗とは違い、日に透かすと少し虹色がかっている。
魚を針から外すとき、思わず目の部分に指が入ってしまい、一瞬怯む。
魚には瞼がない。
"涙は目の表面を潤す太古の海"だそうだ。
風に晒された目が乾いた拍子に口に流れ込んできた涙の味は確かにしょっぱい。
魚は痛みを感じないという。
海を手放したことと引き換えに人は痛みを手にしたのだろうか。
いや。
喜びを手に入れるために、痛みをも引き受けたのかもしれない。
ワカサギに混じって、時々トゲウオが釣れた。
彼らはワカサギよりも小さな身体でありながら、その身体を指でつまもうとすると、棘を突き出して、必死に抵抗しようとする。
うっかりワカサギと間違えて、普通に手のひらで掴み、チクッ!と刺される。
トゲウオの雄は、求愛ダンスをし、巣作りをし、卵の世話まで行うという。
雌は卵を産まされたあと、雄に追い立てられ、子育てには参加しない。
さらに雄は、孵化した仔魚が巣を離れると、口に含んで連れ戻す。
トゲウオは、子育てをするという魚の中では珍しい種だ。
自然の中にいると本当に不思議だ。
怖いような気もするけど、あまり寂しさを感じることはなかった。
巡り巡る命の循環に自分も参加しているような錯覚に陥るからなのだろうか。
付箋@KDystopia
宮沢孝幸(ウイルス学)「西洋の人って因果関係でああだからこう、こうだからああって全部一直線で考える。でも、生き物ってネットワークだから、そんな単純なものじゃないんですよ。どこか1カ所いじると他にも影響を及ぼしてグルグル回っちゃいま… https://t.co/MdHfNApI3P
2022年02月07日 08:14





