地味飯 | 想像と創造の毎日

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  技術が発達し、急速冷凍に真空パックで魚介類が新鮮な状態に近くなったとしても、やはり冷凍は冷凍である。


  細胞は壊れ、歯応えがなくなり、解凍したときに水分と共に旨みも流れ出る。 


  タラは本来、大変美味しい魚だ。

  新鮮であればあるほど、びっくりするほど美味しい。

  脂はほぼないのに、締まった身に旨みが凝縮している。


  しかし冷凍すると、一気にまずい魚に成り下がる。


  コマイもタラの仲間である。

  なので、似たような旨みがある。




  生のタラとコマイを鍋にぶちこんで、野菜と共に酒と塩で煮る。 

  ただそれだけなのに、箸が止まらない。


  食べる前はテンションが上がらないのに、一口汁をすすると、憑かれたように食べ続けてしまう危険な美味さだ。


  この間、老舗のレストラン(とは言っても昔からあるファミレス)で、久しぶりに食事をしたのだが、あまりにも美味しくなくて本気でムカついた。


  子供の頃はそこで外食するのがとても嬉しかったはずなのだが、大人になって再び行ってみると思い出が壊されたような気持ちになった。


  サラダの野菜はパサパサ。

  卵焼きやコロッケはたぶん業務用の冷凍食品。

  刺身ときたら、冷凍の養殖のサーモンに冷凍のイカ、冷凍のホタテだ。

  何考えてんだ!

  ホタテなんて、地場食材だろうが!

  

  こんな値段を出すのなら、手打ちそばでも食べれば良かった。


  我ながらめんどくさいやつなのだが、こればっかりはどうしようもない。


  このほやの塩辛と鱈ちり(みたいなやつ)の方が、どれだけ美味いか。


  江戸時代の農民の食卓は、囲炉裏を囲んで、そこから吊り下げられたひとつの鍋の中に、野菜や魚を煮込んで食べていたようだ。

  魚は滅多に食べられなかったかもしれないし、もしかしたら雑炊だったかもしれない。


  今のように副菜などなく、それぞれがひとつの茶碗を持って、そこに鍋の中身を取り分けてもらっていたのだと思う。


  煮る。というのは、素晴らしい料理法だ。

  素材の栄養素は、汁に溶け込んで無駄なく摂取できる。

  暖を取ることと、調理が同時にできることも良い。


  スーパーの鮮魚コーナーで、一尾のままの大きな鮭やタラを見ると、わけもなく感動する。


  この一尾で、何回、ご飯が食べられるのか。

  しかも鮭やタラは、身だけでなく、内臓も美味しい。

  卵はもちろん、胃も腸も肝臓も栄養価に冨み、身よりもずっと美味しいのだった。


  しかも低脂質、高タンパクである。

  卵は脂質は高いが、ビタミンDが豊富だ。


  見た目は地味だが、食べたあとの幸福感はあのわけわかんねえレストランの松花堂弁当よりも抜群である。