案ずるより産むが易し | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  晴れて(また)、異性のパートナーができた娘は、今までになく、楽しそうだ。


  絵を描くのが好きやら、顔がひどくイケメンやら、自分の方が上になれるやら、それぞれを好きになった様々な理由を言っていたが、今回は様子が違う。


  そのどれにも当てはまらず、ただ一緒にいて楽しく、安心するという関係性において自然に生まれる自分の感情を優先したように見えた。


  娘はグズグズと自分を卑下するが、行動力があるのが長所だ。


  勉強がめんどうで辛くても、とりあえず教科書を開いていたし、太ったと思えば下手くそなりに運動したり、出会いがないと嘆きながら、出会える環境を探しに行った。


  よくこの方の記事を拝見する。

  別にモラハラ被害に遭っているわけでもないのだが、自分が苦手とする人とのコミュニケーションの仕方を技術として学ぶ上で大変役に立っている。


  私は争いを好まないので、無意識の中でいい人になりたいというエゴがよく発生する。

  そのため、エナジーバンパイヤのような人を引き寄せやすい。

  彼女ら(彼ら)ははじめ、自分を被害者のように装い、人の良心(というよりも偽善的な部分かもしれない)に訴えかけて近付いてくる。


  話を聞いていると、あなたは優しい人ね。と言うのだが、そのうち自分の都合に合わせない場面が出てくると、態度を豹変させて、攻撃的な態度に出る。


  何の関係もない他人なら相手の感情を刺激しない程度にそっと距離を置いていき、最終的には関わりを持たないという選択もできるが、職場となるとそうもいかない。



  娘の先輩は、自分の感情のままに言葉を発する人で、その言葉でよく人を傷付けるらしかった。

  先輩が発するあなたは人に甘えすぎだとか、もう少し焦った方がいい、とか、新人が来たらあなたになんて構っていられない。などという言葉が、時折頭をよぎって、ひどく落ち込むらしかった。


  人に物を教えるのが上手い人は、そんな抽象的な言葉で相手のやる気を削ぐような言葉をかけない。

  娘の味方である私からしたら、仕事ができない(後輩を育てることも仕事だから)のは、おまえも同じだろーが!と心の中で罵りたくもなるのだが。


  気が利かないし、媚びも売らず、先の見通しを立てるのが苦手な娘が、即戦力にならないことで、先輩がイライラする気持ちはよく理解できる。

  でも、他の先輩方はそんなふうには言わないし、なんなら褒めてくれるときもあるのだから、そこまで自分を責めなくてもいい気がする。

  

  娘は大人しく、自分に自信がないから、こういった輩(いえいえ。お世話になっている先輩ではありますが)の八つ当たりの対象になりやすくもあるのだろう。


  感情スルースキルを発動せよ!と言ってみた。

  学生の頃、苦手な先生を視界に入れなかったように。

  でも関わることは仕方がないから、抗うわけでもなく、従うわけでもないちょうどいい心の距離を探るのだ。


  いちいち傷ついた態度を見せれば、図に乗ってくる。

  自分が苦手とする部分がどこにあるのか、それに対して自分はどう努力していくのか。

  考えることはそれだけで、先輩が自分のことをどう思うかなんて気にする必要はない。


  彼も仕事は大変らしかった。先輩には叱られることも多いという。

  それでも、誰よりも先に出勤し、雑用をこなすらしかった。

  自炊もするし、清潔感もある。

  そして、いつも明るくおおらかで、友達はたくさんいるけど、友達の噂話には乗っからず、全ての行動を共にしないところがいいと、娘は言った。


  俺は、ブサイクだから、他で努力する。

  

  その言葉にもやられたみたいだ。


  あれだけ、外見にこだわっていたのに、ここへ来て、そのこだわりを捨ててもいいと思えるほどの人に会ったのは、娘の行動力のおかげだろう。


  顔を写真で見たが、確かにイケメンとは言えないが、すごく"いい顔"をしていた。

  目線がしっかりしていて、目に力がある。

  自分の器に自分がすっぽりと収まっているような淀みのない笑顔。


  ぴーちゃんは私の口から食べ物を食べるのだが、どんなに小さくても私の口を間違っても噛むようなことはしなかった。

  本能的に怒ったときには、思いっきり噛み付くこともあるけど、それ以外のときにちょっかいを出しても、威嚇するだけで傷つけることはしない。


  ぴーちゃんは、自分が痛いと思うことを私にもしない。

  もしかしたらぴーちゃんにも他者の痛みを想像できる能力があるんじゃないか?と思う。

  

 ぴーちゃんは正直だ。

 嫌な時は寄ってこないし、食べたいものがあるときには近付いてくる。

  

  好きな人には媚びるような態度をして、そうでもなければ無視している。


  それでも可愛いのだから、素晴らしいな。

  まったく羨ましい。


  先輩は自分の感情を自分で理解する前に吐き出す。

  あの前にいた周囲を振り回したおばさんもそうだった。

  こう言ったら相手はどう感じるだろう?

  そんなことを考えず、自分の経験で培った正しさだけを振り回し、それを自分を振り返らなくてもいい理由にしているみたいに見える。


  総じてそういう人は、自己評価が高いのだ。

  周囲が認知する能力と、自分で認識している能力の隔たりの大きさが、生きづらさそのものであるかのようだった。


  賢さというのは自己懐疑的であること。

  福岡さんの言葉が事ある毎に脳みそを駆け巡った。


  先輩やおばさんがどうであれ、結局は自分がどうありたいのかだ。


  好きな人とは関わるが、そうではないなら関わらない。


  それは残酷に思えるけど、巡り巡って優しさであるのかもしれない。


  自分はよく嫌われる。

  自分が仲良くなりたい人に限って、離れていく。

  それはもしかしたら、自分に原因があるんじゃないか?


  偽善的な自己犠牲は、その気付きを与えるきっかけを奪うことにもなるのだろうから。