まだ幼児である後輩の子供たちと一緒に食事に行くときは、必ず広い個室を予約していた。
ぐずったり、ケンカをして、暴れるからだ。
今回は、狭いテーブル席だったから、後輩はうるさくなったらすぐに帰るという。
早々に食事を終えた子供たちは、百均で買ってもらった粘土を手渡されると、すぐにそれに夢中になって、遊び始める。
最後まで、大した喧嘩もせず、ぐずることもなかった。
いろんな色の粘土を混ぜ合わせ練ったり、麺状になる型に何度も入れて、押し出すことを繰り返していた。
ちぎられて、放り出された粘土の欠片をおもむろに手に取ってみた。
それはちょうど、適度な水分を含んだ白玉粉の感触に似ている。
硬すぎず、柔らかすぎず、手にベタつかないその適度な粘度は、心地よい抵抗で指先や手のひらを押し返した。
師匠の奥さん曰く、ホッケは脂が強いため、飯寿司にするときは、塩をしたあとに酢で締めるという。
笹には優れた殺菌作用があるといわれ、様々な料理に利用される。
極寒でも枯れることはないが、60年から120年に一度、花が咲いたあとに枯れるという。
地下茎で増える笹は、コピーだけでは弱くなってしまうことを知っていて、敢えて自らを壊すことでより強くなろうとしているのだろうか。
指というものは、不思議ではないですか。
脳が言葉を生み出す司令塔だとしたら、指はその命令に一番忠実な器官だと思えるのです。
食べ物を掴むのも、何かを作ることも、愛おしい人に触れるのも、指で行います。
指先には指紋があって、その模様はまるで目のようなのです。
そしてその模様は、誰一人として同じではない。
まだ知識に乏しい子供たちのその夢中を眺めていた。
その小さな指から感じる世界は、経験に縛られて、自らの世界を狭くする大人が忘れてしまったものを思い出させてくれます。
それは、その感触をただ一心に楽しむ感性でした。
子供たちは、過去にも未来にも生きてはいないのです。
今に夢中になることだけが、自分の経験や過多な情報からもたらされる不安や恐怖から逃れ、心を満たすのでしょう。



