毒と栄養 | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。


  娘が開口一番に言った。

「なにこれ?宇宙から来たみたい。」


  サザエは、北海道民であり人口密度のすこぶる低い地域に住む私にとって、全国的にメジャーだと認知させる魚介類でありながら、名前だけは知っていてもなかなかお目にかかることのない食材である。
 
  同じ巻貝の類では、つぶ貝の方が見慣れているし、食べ慣れている。

  蓋の部分の渦巻き状の模様、貝殻の外側の規則的な配置にある突起、貝殻の内側の虹色。

  テレビや雑誌では見ていても、身近な場所の海やスーパーではほぼ見かけることのないものを実際に目の前にすると、少し怖いと感じる。

  刺身にするには小さそうなので、フライパンで蒸した。

  皿に載せるも、私も娘も食欲が湧かない。
  これは、食べ物というよりも、観賞するものではないのだろうか?

  皿の上にあるよりも、水槽の中にいる方がこの子たちは似合う気がする。

  ツブを食べる時のように爪楊枝を蓋の隙間に入れると、すぐに折れた。

  仕方がないからホタテを剥くナイフをグリグリと差し入れた。
  身に突き刺してから、ゆっくり引き抜くと深緑や茶色の内臓が渦を巻いて、プルン!と出てくる。

  ツブを殻から出しても似たような状況になるが、サザエのそれは、もっとグロテスクに思えた。

  いちいち形状が秩序を持っているのである。
  私の中で食べ物は、もっと乱雑で不規則な状態のものを指すのだ。

  南の方に帰った師匠の釣り仲間からのお裾分けだった。

  暖かい場所へ行くほどに命はカラフルな色を持ち、多様な形になるのだなあと漠然と思う。

  北の海で捕れる魚介類は、脂が乗り美味しいとされるが、その種類はとても少ない。

  食べ物が豊かなのは、やっぱり温暖な気候を持つ場所なのである。

  前にも一度、食べたことはあった。
  その時の記憶は、あまり良くない。

  全部食べられるというから、勇気を出して、渦巻きの蓋を歯で喰いちぎって、一口で食べた。

  深い苦味が真っ先にやってくる。
  やっぱり美味しいとは思えないのだが、私の大好きな硬い歯応えは悪くない。

  娘が一個食べてから、もういらないというから、残りを全部食べた。

  苦いのだが、なぜか食べるうちにクセになる。

  ツブよりも層の厚い旨みだ。

  それからしばらくして、手首の痒みに襲われる。
  蕁麻疹だ。

  去年、初めてアケビを食べて、種を出すことを知らず、全部噛んだときのひどい苦味を思い出した。

  あのあと、胃が気持ち悪くて、お腹を下したのだった。

  昔、イトウの刺身を初めて食べたときも蕁麻疹と喘息に襲われたことがあった。
  しかし、その後に食べたときは大丈夫で、とても美味しく、大好物になった。

  今回の蕁麻疹は手首だけで終わり、たいしたことはない。

  そもそも、サザエのせいかどうかも怪しい。
  この他に本マグロの赤身、アオリイカ、サクラマスのルイベ、馬刺しも食べているからである(ナマモノ、食い過ぎだろ!)。

  私の中に取り込んだ命は、その寿命を絶たれてもなお、私の身体の中で最後の抵抗をしているのだ。

  俺たちの子孫を食べるとこんな目に合う!
  増殖する機能が停止した無意識下の細胞が、無防備な私の粘膜にそんなふうに訴えかけている。

  私の沈黙の粘膜がその抵抗に驚愕し、慌てて外に出そうとする。

  新しい成分の構成への反応を経験にして、私の肉体は進化するのだ。
  
  食べることはいつでも危険と隣り合わせだったのだ。
  
  あの苦味の奥にある複雑な旨味は、毒と栄養の絶妙なバランスの賜物である。

  純粋な栄養素である砂糖が、ともすればその純粋さゆえに毒となりえるように。

  生命はその内部で、毒を取り込むことを前提として機能しているのだと思えて仕方がない。

  そういえば、この間、イクラを半生で食べたところ、大丈夫だった。

  少し前までは、半生でも蕁麻疹と喘鳴が起こっていたのに。

  麹甘酒のおかげだろうか?

  そういえば、ここ二、三日、発酵食品を食べていなかった。

  毒への防御の体制が腸の中で整っていなかったのかもしれない。

  自分の肉体でさえ、不思議で面白い。