小さな使命 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  登山口の林道を少し歩くと、すぐに景色は開ける。




  眩しい太陽の光を浴びながら、勾配のきつい坂を登り始めると、一気に心拍数が上がる。


  この山は、歩く距離は短いのだが裾野が短い分、身体を山に慣れさせる余裕を与えてはくれないのだ。


  


  年に何度も登らないのに、毎回必ず出会うおばあちゃんがいる。


  バックパックなど背負わず、小さなウエストポーチひとつで、駆け上がるようにして、私たちを追い越していく。


  顔見知りなのだろう常連さんたちが、声をかけている。


  今日もごくろうさん!と。


  スっと伸びた背筋には、無駄な脂肪がついていない。


  90才のおじいちゃんが、ボランティアでこの山の管理をしているらしかった。


  昨日も、20本の杭を背負って、山頂辺りの登山道の整備をしていた。


  小さな子供連れの家族でも、安全に登れるのは、このおじいちゃんのおかげだ。



  バッタが歩く先々で踏み潰されている中、小さな虫たちが、その隙間を縫って歩いている。



  街では見かけることのない、(いや、見かける余裕がない)色とりどりの虫たちは、目立たない戦略ではなく、敢えて目立つ色の模様を纏って、自分は危険な存在であることをアピールしているのか。


  踏みつけそうになるのをその色が阻止させる。


  美しさと強さが、一体になった生命の神秘。



  ふと立ち止まり、バックパックを下ろすと、隙間ができた背中の汗が冷たい風に晒されて一気に乾く。


  それでも呼吸と鼓動はすぐに収まることはなく、しばらくの間、肉体を動かすためのガソリンを燃やす動作を継続している。


  この熱を冷ます風は、どこからやってくるのか。


  その元を辿っていくと、まさに今、この自分の吐き出す息、そのものから始まっているのだ。と感じる。


  頂上から見渡して広がる小さくなった街を見下ろす自分の吐き出した息が草木を揺らし、その草木が互いに触れ合って、木々を震わせる。


  あらゆる命の小さな呼吸がどんどん伝わって、風は起こるのだ。




  あらゆる出来事は、風が作っているのだな。

  風は、命が巻き起こす物語そのものだと感じる。

  それは暑さや寒さという温度差から生まれた。

  体ひとつで、山に登る時。

  この肉体ひとつしか頼るものがない心もとなさに、少し弱気になる。

  一緒に登ってくれる友人や、時々すれ違う人の気配でそれは緩和され、私の体温は私だけでは決して感じられないことを痛感するのだ。

  なぜ、あのおじいちゃんは私たちのために山を整備するのかな。なぜ、あのおばあちゃんは、毎日毎日、同じ山を上るんだろう。どうして私たちはこんなに辛いといつも思うのに、また山に登ってしまうんだろう。と、みーちゃんが言った。

  みーちゃんの疑問はいつも素朴だ。
  あんなに仕事ができるのに、そんなことを疑問に思える感性に私はいつも感服するのだった。

  だけどそういう視点があるから、みーちゃんは子供たちが好きなのだろう。

  だからこそ、あんなにもまっすぐに子供たちに対峙する。それゆえに自分に沸き起こる感情を時々、我慢することができない。

  みーちゃんは、子供と対等だな。

  私がそう言うと、ちょっと怒る。

  でもそれは、すごく素晴らしいことなんじゃないかと思う。

  そう付け加えると、少し照れる。

  一緒に登った後輩の子供が、同じぐらいの子を見つけて、さっきまで疲れた。とグダグダしていたのが、急にやる気を出して、その子と競走するようにして、一気にがまん坂を駆け上がった。

 なんだ。まったく疲れてないじゃねえか。

 あれは、疲れてたんじゃない。  
 ただ登るだけの行為に飽きていただけだ。

 私たちはそれを追いかける。
 筋肉に溜まった乳酸が、足をもつれさせる。

 エントロピーが増大しているのだ。

 その乱雑さを先回りするのが、分解。

  若さはいつも、私たちの積み重ねた経験で構築したコチコチの頭をぶち壊す。

  言葉で理解しようとする乱雑さでできた私たちの脳みそを、その単純さで壊される瞬間の爽快さといったらどうだろう。
ー壊して作り直すから、
死と生が表裏一体だから、
生命は生命たりうる。
そこに創造や発見や進化が起きる。ー

  あのおじいちゃんとおばあちゃん、そして子供たちが、生きるとはなんなのか?を言葉を介さない部分、感覚としての領域で私たちに教えてくれていた。

  疑問を持つことが、意識を意志にしていること。

  そして、疑問はときに疑問のままであるからこそ、人は生き続けていられるのだ。ということを。