ぶどうはすっかり粒ぞろいになり、いかにも甘そうにその果実を枝からぶら下げていた。
こっそり食べているところをまたもや見つかり、だからまだ早い!と怒られる。
茎が黒くなって、香りが強くなってきてからじゃないと甘くないんだと。
未熟なぶどうの果実は、酸っぱくて種が果実にまとわりついて離れない。
その点、鳥やエゾシカはよく熟知している。
去年のかぼちゃは、ほとんどが実の入った美味しいものばかりが、エゾシカに食べられていたらしかった。
そういえばスナップエンドウも、食べ頃になるまで待っているうちに、すぐにスズメが豆が膨らんだ柔らかいところだけを先に食べていたのである。
どちらが先に食べ頃を見つけるか。
スズメと私の戦いであった。
時々、畑の隅の土に小さな穴が開いている。
スズメがそこに羽を擦り付けて、砂浴びをしているのだ。
その様子が可愛らしいと眺めていたのだが、どうやら彼らは身体についている汚れや虫をお風呂に入るみたいにして、落としているらしかった。
スズメにはノミがついている。
なので、古い家の換気扇の巣をそのままにしていると、家の中にノミがばらまかれるらしかった。
ぴーちゃんは、ノミとは無縁だ。
怖がって水浴びもしないし、お風呂に連れて行ってもその温かさに眠くなるだけで、ちっとも洗面器に張ったお湯に浸かろうとはしない。
私の管理下に置かれ、与えられたエサだけを啄む。
師匠が去年畑にばらまいたハタケシメジの菌が、見事に根付いた(厳密に言えば根はつかないのだろうが)。
室内の菌床栽培で育てられたキノコとは違い、歯ごたえも味も抜群に濃い。
ぴーちゃんは、畑の雑草のはこべがすこぶる大好きだ。
まるで、隔てられた自分と自然の距離を埋めるかのようにして、貪り食べる。
自然の形から程遠いものほど、なんだか気持ち悪いと感じる。
けど、自然の形って、なんだ?としばらく考える。
それは自分の支配下に置けないものたちの営みで、循環しているもののことかと思う。
ノミはスズメの身体の血を吸いながら生き延びている。
私が、鶏の肉を食べて生き延びていることと同じだ。
野生動物は自分を脅かす敵の全てを排除する術を持たない。
しかしそのことで、互いにバランスを取り合っている。
自然に増えて、自然に減る。
そのことを忘れたときに、ひとつの種の命は傲慢になる気がした。
季節の移り変わりに忠実な木々の枯葉が落ちるのをぼんやりと眺める。
あらゆる植物の実りは、食べられることで次の命を繋いでいた。
人間よりもずっと、若い命に優しい。
なんてせつなく、なんて潔いのか。
人の意思が及ばない自然の世界は。


