しつこいんですけど、蒼天航路の話である。
荀彧や郭嘉が死ぬ時も嗚咽するほど泣くんですけど、やっぱり関羽の最期は三日ぐらい引き摺ります。
武も知も、その人柄も、あの曹操が敵ながら最後まで焦がれた三国志史上、最強の武人。
しかし自らは大将になることなく、劉備の臣としての道を貫くわけですが、その劉備が強くもなく、賢いわけでもない。
それでも劉備に惚れたのは、出会った時の劉備のセリフでした。
自分が戦うのは、自分の欲もあるけど、やっぱり一番は人々の笑顔だ。っていうその一言。
劉備の命令には絶対に従っていた関羽だけど、最期、その命を落とすきっかけになったのは、自分の武への欲望や自分の信念だったんです。
劉備は自分の大切な臣下の命を何よりも大切にしていて、関羽にも逃げるように言ったのだけど、関羽は自分に見合うだけの武と信念を持つ敵と戦うことを選んだんです。
互いに素晴らしい才能を持ちながら、そのどちらも残そうとせずにただ強い者に勝ちたいと思う気持ちのまま、自分の命さえも厭わずに剣を振るう行為。
社会の安定のために命を奪い合うことが愚かしいことだと理性では理解していても、人間の根本にはそういう残酷な欲望があり、そしてそこに抗えないことに対して、関羽(だけでなく当時の武将たち)は善悪をつけないわけです。
関羽は中国では神として崇められているそうです。
中国は、国を治める主君が何度も変わる。
それは、奪い、奪われてきた歴史です。
コロナ以前によく見かけた中国人観光客に対してよく思ったことは、欲に正直だなあということでした。
予備のトイレットペーパーは盗むし、バイキングで出された料理は持ち帰ろうとする。
そのことは奪われる前に奪おうとすることに躊躇いがない今の中国の政治そのもののようにも思えます。
中国の方たちは、自身のことを今でも漢民族と呼ぶそうです。
この三国志は後漢の時代。
儒教の思想が崩れつつあり、しかしその儒教の呪縛から逃れるような欲望を糧にして、様々な文化が花開いた時代でありました。
私は蒼天航路を読んで、善悪がどうのこうのというよりも、中国が好きになりました。
それは中国を見習いたいという気持ちではなくて、中国には中国の歴史的背景があり、少なくともそれらは日本に多大なる影響を与えてきたということを知ることでありました。
儒教というものをまだあまりよく知りませんが、例えば孝
という言葉があり、簡単に言いますと、親は子よりも偉い。みたいな考え方です。
昨今では、若者の未来を!とか、子供の人権を尊重しよう!とか、叫ばれますし、それはその通りだとは思うのですけど、コロナ騒動を見ておりますと、少なからず日本人にも、その孝の精神は無意識に根底にあるのだとも思えるわけです。
資本主義、昨今では新自由主義なるものが、世を動かしてるわけですが、その弊害が弱い者の淘汰に繋がっています。
関羽の心を持つ中国。
その強さはどこにあるのか?
関羽こそが、中国。
隣人を愛しなさい。と言ったのはキリストだそうだが、それは隣人こそ人は自然に疑い、憎んでしまうものだとキリストは言いたかったのではないか?
儒教が唱えてきた道徳心、それはまるで理性への崇拝心のようにも感じて、息苦しく、不自由にも思えるのですが、やっぱり、本棚に眠っている論語、読まなきゃダメだなあ、と思う次第でございます。



