”「好かれる」と「嫌われない」は別物” | 想像と創造の毎日

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  職場で、みんなに嫌われているおばさんをどうして嫌いになるのかを話し合った。

  すると、一人の後輩が、自分の元の旦那さんに似ていると言ったのだ。
 
  その旦那さんは、炊飯ジャーのスイッチを夜中に入れっぱなしだったり、靴の並べ方が少し雑になったりするだけで怒鳴りつける。

  いわゆるモラハラ夫というやつだったらしかった。

  おばさんの得意技は、みんなの感情をグラグラに揺らすことだ。

  自分の正しさから外れることが起こると、すぐにかっ!となって怒り出し、相手が言い返してくると、人格否定をして、更に相手を怒らせる。
  
  怒られた相手は、だんだんその言い合いに疲弊してくる。

  もう、いいや。
  それで、いいです。

  その言葉が出てくるまで、とにかく自分の言い分をまくし立てるのだった。

  まず、私は、おばさんが怒り出したら、それをそのまま返さない努力をする。

  もちろん、その時の自分の感情の状態によって、そうできないこともあるけど、なるべく自分はその怒りに引っ張られないと言い聞かせるよ。と発言した。

  みんなの仕事に支障が出ていることは上司も理解していたのだった。
  しかし、上司もおばさんにはなるべく関わらないようにしてしまっている。

  私にはおばさんが怒るのは、悲しいからだと思えたのだった。

  自分の考えが聞き届けられないことや、自分の立場が若い人より低いこと。

  そういう悔しさが心にあって、自分がこの職場で価値ある存在になりたいと躍起になっているようにも思える。

  しかし悔しいとか、悲しいとか言うのは、自分のプライドが許さない。

  そして、自分の経験が一番正しいと信じて疑わない。

  他の人たちの考えていることが言葉の意味以上に読めない性質もあるのだろう。

  しかし、そのことに同情して、おばさんの言いなりになるのは、結局はみんなが不幸になってしまう。

  昔、おばさんと組んでいた人は、おばさんにできる仕事を与え、その他についてはにこやかにお断りしていた。

  おばさんの心を傷つけないように配慮しながら、必要以上に近づかなかった。

  おばさんは、その人のことを悪く言うことはあまりなかった。

  逆におばさんに気を遣っているように思える人の方がぶつかることが多い。

  おばさんの言葉に隠された心模様を想像してみる。

  その理由は私の憶測に過ぎないけれども、それがわかった!と思うと、不思議と怒りの感情が起こらなくなった。

  怒りそうになったら、できるだけ離れる。
  それでも近付いてくるのなら、今は私が感情的になっているので、あなたを傷つけてしまいます。 
  なので、そっとしておいてもらえませんか?とお願いをする。

  おばさんは自分がどうして、こんなにも怒ってしまうのか、自分で自分のことがよくわからないのだろうと思うのだ。

  私はおばさんに嫌われてしまうと、仕事がやりずらくなる。
  嫌われないためには、好かれないようにするのだという感覚はよくわかる。

  私は自分の存在をなるべくおばさんから薄くしようとしているような気がする。

  おばさんの感情に巻き込まれない人は、無意識にそのような態度を取っているのだなあとも思う。

  たぶん、おばさんとうまくやれる人は、自分と同じタイプのモラハラ体質の人のような気がした。

  おばさんは、自分の言葉にまっすぐに反応する優しい人にほど執着するのだ。

  でも、自分の言うことに有無を言わさず、命令するタイプには素直に従う。

  人事に関わるみーちゃんにそのことを告げ口すると、みーちゃんは笑って、じゃあ私と一緒に仕事した方がいいかな。と言った。

  みーちゃんは、人の感情に振り回されないし、論理的で説明上手だ。
  けれども、最近では人の心を慮るという武器も手に入れつつある。

  昔は、白黒思考で、気に入らないものには、まっすぐに反論していたみーちゃんだ。

  年を取ったよ。
と、みーちゃんは、昔の自分を懐かしがるような目をして振り返った。